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自分を調べてみる その1
こんにちは、みりんです。
自分を調べてみる、その1です。
“答えを教えてほしい人と自分”について考えてみます。
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私は、良いのか悪いのか、人から教えてもらうのがあんまり好きじゃなくて、先に答えを教えられると、自分の不甲斐なさや理解力のなさ等にイライラしてしまう人です。
人の宿題やレポートのコピーなんかはてきめんにダメでした。性格上。
で、そんなことをしていると、周りに集まるのはその反対の、“答えを教えてほしい人”だったりします。
私の場合、自分は自分、他人は他人なので、その人たちに対してはあまり否定的になったり嫌いに思ったりもせず、普通に聞かれたら教えていました。
“なんで教えちゃうの!”って他のお友達や先生から言われることも多くありました。ごめんなさい。
でも私は、聞かれて知っていたから教えるだけだし、結局"答えを得る代わりに身に付かない"ことを選択したのは彼らだから、それでいいかなと思っていました。
し、今も少なからずそう思っています。
(究極に冷たい人間なのかもしれない、、)
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結局は目的が違うのだと思っていて、
私は答えを導き出すまでの過程や方法に興味があって、まあ無理ではあるのですが、生きているうちにぶち当たる問題を自分でなんとか解決する術を身につけたくて、その練習のために、小さなことでも自力で解くように努力してきました。
なので解けようが解けなかろうが、まあ解けたほうが嬉しいけど、過程の中で学びさえあれば満足する人間です。
じゃあ“答えを教えてほしい人”はどうなんだろう?
憶測ですが、なるべく労力がかからない方法で生きていく術を身につけようとしているのかな?
かと言って、すべて労力をかけずに生きていけるわけではないと思うので、彼らなりの苦労や努力はあるのだと思っています。
だからそれでいいのかなと。
その時は、たまたま答えを知っているやつ(私)がいて、答えを聞いたら教えてくれた。
でも毎回私みたいな人がいるかというとそうではなくて、毎回溶け込む環境で、そういう人を探したり見極めたりしなければならない。
聞かれて嫌がる人ももちろんいると思う。
バレて怒られることもあると思う。
教えてもらえる人がいないこともある。
だからやっぱり彼らにも苦労や心労はあるのだと思う。
ある意味、私にはストレスが溜まってできないことだけど、それができる能力があることは、尊敬するところでもある。私よりもよっぽど人のことを信頼しているようにも思う。
それに仕事なんかになるとそうはいかなくなることなんて沢山あるから、彼らがその時にどうやって乗り越えているのか、ものすごく興味がある。
生きてるかな・・?
…これも、あんまり言葉にしたり語ったりするチャンスのないことなので、ここで言葉にしました。
読んでくださって、どうもありがとうございました。
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