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やる気を出す一つの空論

注)最後の方にまとめ書いたので、最後だけ読めば早いです。

1.はじめに

やる気とはどこから湧くのだろう。そんな風に考えることが多くなったということはやる気がない証拠だろう。

生きてればやらなければならないことがいくつもあり、やらなければ何らかのリスクがある。生死に直結してなければ面倒は避けたいと考えるのは『生物がカロリーを消耗しないように行動をする』という文面に起こせば正しさしか感じない理由があるからだろう。そうやって無意味な思考に時間を割いてしまうのは、やる気がない以前の僕の習性だ。

さて、やる気を出す方法に関してある仮説を立てた。実行はするがn数増やして検証なんてしないので空論とも言う。では、以下から空論の本格的な始まり。

2.前提

ここ最近特に面倒ごとに直面すると仕事以外だと避ける傾向にあった。これは自分の内面を見なくなったことが原因に思える。僕はことあるごとに自分の内面を掘り返しては『それが理想であるか』とか『それは合理的であるか』とか考えたりしていた。もちろん実行には移さないこともあるし、そちらの方が多かったりする。理想や合理は面倒くさいとセットの場合が多いからだ。

ただ、自我の根幹を固めるような思考作業を繰り返すという行為を、今思い返せば定期的に行ってきた。対外的に説明するなら『客観的に自分を見る』というやつだ。余談だが、その視点は客観的であるから行為的な『やつ』よりも、分離した個人としての『奴』のほうが正しいかもしれない。

ともかく、自分の内側を掘り返すような思考が少なくなってきた。これは僕が生存を続けたい理由の一つである『楽しいことをする』という行為の方向を変化させた遠因になっていると踏んでいる。僕はいつの間にか『楽しい』を自分の外に探そうとしていたのだ。楽しいと感じるのは自分自身なのだからこれは滑稽である。

物事に理由を探したくなるのは大半の人間の性で、僕もご多分に漏れずその類。『楽しいことをする』の方向性が変わった理由、つまりその遠因である自分の内側を掘り起こす思考が減った理由を考えた。その一つとして僕が小説を書く時間をあまりとらなくなったということが挙げられる。小説に限ったことではないがクリエイティブは自分の中に蓄積されたものから何かを創出する作業で、内面を覗き続ける作業でもある。

小説を書くときは、物語の展開がこのようになったら楽しいなとか、このキャラクターはこういう風に動くと自分の直感とあって気分が良いなとか考えながら書く。これは自分の中の楽しいを理解し実行しつつ、さらには自分の中の楽しいをキャリブレーションする一石二鳥の作業だ。今さっき考えて気が付いた。小説すげえ。楽しい。

書く時間を減らしているのは、実学の学習に時間を割かないと罪悪感で自分がつぶれそうになるからなのだが、精神衛生上マストな作業をつまらない実学とやらに潰されてたまるかやめてやるぜひゃっはー、と思った。思ったのだが、この感覚は何も小説に限ったことでは無いのではと思いとどまった。

前提はここまで。

閑話休題。

3.本題

やる気は『楽しい』から生まれる。楽しいことなら体力がある限り率先してやりたいものだ。恐らくだが、つまらん息が詰まるような種類の勉強でも、その勉強を行っている自分の内面を観察することで楽しさを見出し、やる気を出すことに繋げられないだろうか。

それを今から実践しようと思う。実践していかないと小説を書く代わりに何かを失うしかない。実学を終わらせて僕は小説を書きたいのだ。

なんだかやる気が出ないなと感じていたのは、自分の内面を見つめて面白いを探らずに目の前の興味のないものばかり意識していたからだ。どんな勉強でも理解すると達成感があって報酬系が活発になるが、理解の過程で楽しいと感じるものは限られる。思い返すと以前pythonをざっと勉強したときは過程も楽しかった。

なるほどこのコードはあの言語に似ているとか、型宣言しなくていいのめっちゃ楽やんとか、このコードを使えばあれが出来そうとか、オブジェクト指向ふわふわしすぎワロスとか、目の前の情報以上に自分の考えが頭をぐるぐる回っていた。あれは楽しかった。

今やってるやつはあまり興味が無いし面倒くさい。実学なのだから当たり前なのだが、参考書は自分がまだ直面したことのない仮想の課題を解決するという筋書きで、解法が延々と羅列されるケースが多いのがかなり苦痛だ。自分の考えが入る余地がない。λやfといったパラメータに一体なにを思い馳せればいいのだろうか。

もちろん最初は勢いでガリガリと進められたが、今は失速している。だから、この学習の意味は何だろう。この式は一体どういう過程で生まれたのだろう。この考えが生まれた背景はなんだ。とか関係ない部分を考えるように意識していこうと思う。

4.まとめ

つまり『やる気を出すには目の前の事象だけに囚われず、その裏を想像したり調べたりして自分の内側に楽しいを作ればいいのでは。少なくとも僕は今からやってみるよ』ということ。

これでやる気が出たらいいなと祈りながら。

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