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池内恵『イスラーム国の衝撃』

池内恵『イスラーム国の衝撃』(文春新書)

いままで全く関心の無かった中東問題。きっかけは言わずもがな、勢いで読了した一冊。
そもそも「中東ってドコらへん?」くらいの中東ビギナーのため、新聞とテレビ(ニュース番組と「たかじんのそこまで言って委員会」)とパソコン(主にNAVERまとめ)を駆使し、この一冊を読了するまでに割とたくさん調べものをした気がする。
読了後、この一冊だけでなく、さらに勉強が必要だということだけは分かった。

タイトルの通り池内恵『イスラーム国の衝撃』は、過激派組織「イスラーム国」の解説・分析の書である。民族や宗教思想の対立・中央政府による弾圧・西欧諸国の介入等複雑極まりない中東情勢を背景とし、「アラブの春」を皮切りに過激派が台頭するに至った経緯をまとめている。
本書を読むためには中東の地理とざっくりとした歴史とイスラム教の知識が分かっていないと非常に読みにくい。そもそもイスラーム国は、前身組織「イラクとシャームのイスラーム国(ISIS)」が2014年6月29日にイラクの第二の都市モースルを制圧して「イスラーム国」として国家樹立を宣言し、組織名をイスラーム国に改めたものである(旧称のISISと呼ぶこともある)。国家樹立の宣言と同時にイスラーム国の指導者アブー・バクル・アル=バグダーディーは世界のイスラム教徒の正統な指導者「カリフ」の就任とカリフが領域を支配するカリフ制の復活を宣言している。中東の過激派組織と言うと9・11の首謀組織「アル=カイーダ」を思い出すが、一時合流していた時期があったが現在はアル=カイーダと競合する勢力として分離している。アル=カイーダは小規模な地下組織として単発的なテロ行為による心理的圧迫やアピールを主眼としているが、イスラーム国は幅広い領域支配を目的とし、現に特定の地域を支配する勢力となっているのが大きな違いである。イスラーム国は支配下の社会を統治し自らの理念に従って秩序を作り出す政治的存在になろうとしているのである。

中東情勢を理解するためには⑴「パレスチナ問題」と呼ばれるユダヤ人(ユダヤ教)とアラブ人(イスラム教)の対立と、⑵イスラム教の宗派の対立を知る必要がある。ここら辺で早くも挫折したくなったが、自分の頭の整理を兼ねてまとめてみる。

⑴パレスチナ問題
現在のイスラエルは、元々はアラブ人がパレスチナという国家を形成していた土地であり、19世紀〜20世紀の近代国家成立の過程でヨーロッパを追い出されたユダヤ人が「帰還すべき場所」としてパレスチナに移住し「イスラエル」国家を建設したことで生まれた国である。アラブ人とユダヤ人でパレスチナ領土を巡る争いになり、四度の中東戦争を経て国連がアラブ人とユダヤ人の居住区を決めたのだが、イスラエルは国連が決めた以上の土地を領土にした上にイスラエル軍がアラブ人の居住区(ガザ地区とヨルダン川西岸地区)を占領する事態にもなった。現在はガザ地区・ヨルダン川西岸地区ともに「パレスチナ自治区」としてアラブ人の多くが生活をしているが、ユダヤ人との対立は続いている。移住者のユダヤ人が優勢に立ったのはアメリカの支援があったからであり、パレスチナ問題を契機にアラブ人はアメリカを敵視するようになる。

⑵イスラム教宗派の対立
イスラム教には「シーア派」と「スンナ(スン二)派」という、ニュース番組でよく聞く二つの宗派が存在する。西暦661年に第四代カリフ・アリーの死後に後継者を①預言者ムハンマドの血縁・子孫から決定する②血縁にこだわらず、ムハンマドの教えや慣習を受け継ぐ人間をムスリム(イスラム教徒)達の合意によって選ぶという後継者の決め方の違いから分離したものであり、①がシーア派で②がスンナ派である。「イスラーム国」はスンナ派であり、イスラム教徒の総人口の比率で言うとスンナ派が圧倒的多数(9:1)だが、「イスラーム国」が拠点とするイラクとシリアはシーア派が主流の地域である。

イスラーム国が台頭したのはなぜか、経緯をいろいろと飛ばして説明すると、フセイン政権崩壊後のイラク再建を阻害するために前指導者のザルカーウィー(2006年に米国の空爆により死去)がシーア派を異端視して宗教戦争としてのイラク内戦を起こさせ、イラクの無秩序状態が続いた。無秩序状態のままチュニジアで始まった「アラブの春」により中東の中央政府が次々と崩壊する。統治者が存在しない混沌とした社会でイスラーム国をはじめとする過激派組織は勢力を拡大し、イスラーム国が国家樹立を宣言するに至ったのである。彼らのテロ行為や処刑映像の公開、異教徒の奴隷化など、過激で残虐な行動が非難を浴びているが、過激な行動をメディアが取り上げることで彼らの名が世界に広まっているという非常にもどかしい状況である。わたしもテレビを見て「イスラーム国ってなんなんだ?」と思い本書を手にとったのだから、彼らの思惑に嵌っているのかもしれない。

特徴的なのは、インターネットを駆使している点と外国から「イスラーム国」の宗教思想に共感した人々が流入している点だろう。国同士の戦いではなく思想の戦いの為、共感するものであれば資格は十分に満たされる。無宗教の人が多い日本人にはテロ行為や過激な活動を「ジハード(聖なる戦)」として正当化することに対して想像しにくいところがあるだろうとして、著者は以下のように分析している。

「日本ではしばしば根拠なく、ジハード主義的な過激思想と運動は、「貧困が原因だ」とする「被害者」説と、その反対に「人殺しをしたい粗暴なドロップアウト組の集まりだ」とする「ならず者」説が発せられる。相容れないはずの両論を混在させた議論も多い。西欧諸国からの参加者のみを取り上げて、「欧米での差別・偏見が原因」と短絡的に結論付け、「欧米」に責を帰して自足する議論も多い。
 本書で解明してきたグローバル・ジハードという現象の性質を理解すれば、単に「逸脱した特殊な集団」や「犯罪集団」と捉えることは、問題の矮小化であると分かるだろう。外在的な要因だけでなく内在的な駆動要因としての思想や組織論・戦略論が重要であることも、ここまでに記してきた。欧米の問題と片付けることもできない。中東やイスラーム世界に深く内在する原因がある一方で、地理的にも理念や歴史的にも遠いところにいる日本でさえも、意図せずして「加害者」の側に立つことがありうる、と認識しておく必要がある。
 もちろんイラクやシリアの個々の場面では、経済的な貧困に知的な貧困も加わって、安易な気持ちでジハードの理念を振りかざしているとしか見えない事例もあるだろう。紛争が常態化した環境では、爆発物や機関銃の扱いにばかり秀でた「ならず者」こそが、集団の中で頼られる「エリート」になってしまう。武装闘争の現場が、粗野な「ならず者」によって占められ、主導される状況になっているとしても、不思議ではない。
 しかしここで重要なのは、実態としては、考えの浅い粗暴な人間が多く集まっているだけだとしても、その集団と行為を正当をみなすジハードの理念が、共同主観として存在し、広く信じられていることだ。支持する者の目には、「イスラーム国」に参加する戦闘員が浅慮の持ち主とも、ならず者とも見えず、聖なる戦いに身を投じた純粋で志操堅固な人物に見えてしまう。価値観の内側と外側で、同じ現象が異なって見えてくる、ということに留意が必要なのである。」(142頁 6.ジハード戦士の結集)

説明不足が多々あるだろうが、ポイントは①イスラム教の宗派の対立があるということと、②アメリカと西欧諸国が中東のアラブ諸国(イラク、シリア、パレスチナ自治区など)から敵視されているということだと思う。彼らは今後どんな手段をとってくるのか全く想像がつかないが、矛先がどこなのかは薄ぼんやりと分かった気がする。あれこれ調べると、アメリカもイギリスも中東のアラブ諸国に対してけっこうえげつないことをしているんだなぁ…とアラブ諸国に対して少し同情的になってくる。

以上、感想をまじえつつイスラーム国の背景にある複雑な中東情勢をざっくりだらだらと書いていった。彼らの残虐な犯行はもちろん支持しないが、正直日本人として「こうすべきだ!」という明確な意思表示ができない。どっちに転んでも悲劇を生んでしまうのであれば、まずは彼らの正体を知って何が目的なのかを知ろうと思ったが、勉強すればするほど単純に答えを出してはいけないと思った。民族、思想の違いがここまで戦いを複雑にするのか。豊富な資源のせいなのか。「たかじんのそこまで言って委員会」でもうやむやな感じで次の議題に移ってしまってもやもや感が拭えない。
この感想文もうやむやな感じで終わらせる。中東に興味を持った者として、イスラム教の勉強はもちろん、中東の文化をもっと知り、日々小さい頭を悩ませたい。意図せずして「加害者」にならないよう細心の注意を払いたい。
疲れた頭を癒す為にSABON(イスラエルの美容品ブランド)のバスグッズを買おうかなと思ったが、パレスチナ問題について調べてしまったものだから複雑な気持ちになってしまった…。
うーん。まとまりませんが、今はただただ無事を祈ります。

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