「馬留徳三郎の一日」を観劇して

 2020年10月16日(金)19時から髙山さなえ作、平田オリザ演出「馬留徳三郎の一日」尼崎公演をアルカイックホール・オクタで観劇した。この作品は第7回近松賞を受賞し、当初は今年3月に尼崎で初上演される予定だったものの、新型コロナウイルスの影響で公演が延期になり、先日ようやく高円寺で初上演され、それに続いて尼崎での公演となったものである。

 髙山さなえさんの作品は初めて。三幕もので、けっこう長かったように思う。2時間前後はあったんじゃないだろうか。

 舞台の上で現実と現実でないものとが交錯し、それが舞台と観客席のあいだでも起こる。観ているうちに何が本当で何が本当でないのかだんだんわからなくなってきて、ついには観客である私自身が認知症になって現実でないものを現実と思い込んでいるのではないかという錯覚すら覚える。ここまでくるともはや現実と現実でないものの違い、真実と真実でないものの違い、あるいは、ぼけているとかぼけていないとか、もうそういうことはどうでもよくなってしまう。私たちがどれだけ自分のことをまともだと思っていても、じつはそうではないのかもしれないし、まともかまともでないかを確かめるすべはないのだとすれば、少なくとも自分ではまともだと思っているというだけで十分なのではないだろうかという気になる。

 観劇するうちに、まるで舞台の上にいるひとりであるかのように舞台上で繰り広げられる物語に没入してしまわせる台本と演出にはすばらしいのひとこと。

 強いて言うならば、若年性アルツハイマーの症状についての理解がこれで大丈夫なのだろうかというのは気になったところ。ほかにも気になったところはたくさんあるけど、それは演出上のこととして許容できる範囲であった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?