教室にやってきた仏の慈愛
生徒の悩みと私のアドバイス
以前、心から落ち込んでいた生徒が私に助けを求めてきたことがありました。彼女の問題を解決するための言葉を探し、何か特別なものを感じながらアドバイスをしました。
問題の解決と感謝の言葉
その後、彼女は問題を克服。数日前には私が教室で落ち込んでいたときに、感謝と謝罪の言葉を述べに来てくれました。
仏の慈悲の言葉
その瞬間、私たちの間で交わされた言葉は単なる人間の意思から生じたものではなく、仏の慈悲から降りてきたものではないかと感じました。私が彼女に投げかけた言葉、そして彼女が私にもたらした言葉、それぞれが仏の慈悲の表現だったのではないかと。
言葉の自動的な流れ
その生徒と私がお互いに投げかけた言葉というのはエゴから出た言葉ではなく、意識的に出た言葉でもなく、何か得をするから出た言葉でもなく、自動的に言葉が口から出てきたという言い方が最も適切でありました。その意味で、この言葉は小さい個人の自由意志から出てきたというよりも、もっと深い次元(ブッダの慈悲)から他力としてできた言葉ではないかと感じました。
おわりに
この経験は、言葉の力と人々とのつながりの奥深さを改めて教えてくれる、心温まる出来事でした。お互いに支え合い、成長することの素晴らしさを共有したいと思います。
オーストラリアより愛と感謝をこめて。
野中恒宏
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?