見出し画像

4000週間をいかに生きるか? - よりよい人生のために哲学を

はじめに - 人生は短すぎ!

最近読んだ本(オリバー•バークマン「限りある時間の使い方」)によると、人間が生きられるのは、もし80年生きたとしたら、たった4000週間しかないそうです。

これは予想以上に短い期間であり、ちょっと驚きでした。

それに、よくよく考えたら、人生には、睡眠時間も必要ですし、予期しなかった出来事が起こりまし、いつ人生が事故や病気で終わってしまうか分かりません。そうすると、人生は4000時間どころか、その半分もないのかもしれません。

 
 

最優先事項を生きる


だとしたら、そこから導き出される帰結は、自分にとって本当に重要だと思えることを意識して、それを中心に生きると言うこと、そして、そのためにも幻想や臆見に基づいた時間の使い方はしたくないと言うことではないかと思うのです。

自分にとって1番大切なことを中心に生きると言うのは、自分の価値に照らし合わせて、最優先事項を生きていくことではないかと思います。しかし、最優先事項と言うのも固定的なものでは無いので、その都度、自分にとって何が重要なのかを見極める一応があるんだと思います。

 
 

幻想や臆見に時間を使わないために哲学が必要


そして、短い人生なので、幻想や臆見に基づいた生き方をしたくないと言うのは、非常に切実なものがあります。

幻想や臆見に基づいた生き方をしないために、私は哲学が欠かせないと思います。

哲学は、歴史上、多くの哲学者たちが、世界や人間にまつわる様々な幻想や臆見の正体を見抜き、より良い人生を生きるために創造してきた人間の理性的な営みです。

だとしたら、哲学を知らずに生きると言う事は、短い人生を、幻想や臆見に基づいたものにしてしまうことであり、非常にもったいないと思うのは私だけではないでしょう。

 
 

因果関係に惑わされるな


例えば、哲学が明らかにしてきたことをもとにすると、例えば、以下のような方法で、幻想や臆見に基づいた生き方を遠ざけることができると思います。

まず第一に、因果関係について惑わされる必要はないと言うことです。

どういうことかと言うと、私たちは日常生活の中で、「何々があったから、何何が起きたんだ」みたい二つの出来事を因果関係で捉えようとします。しかし、実際に、リアルに出来事を見ると、1つの原因があって、1つの結果が生まれると言う事はあり得ず、もっと言うならば、ある出来事が起きた原因を1つに特定することはできないと言うことです。

にもかかわらず、何かの出来事を、例えば全部自分のせいにして苦しむと言うのは、非常に無駄で幻想に基づいた生き方ではないかと思うのです。

 
 

過去から未来を決めつけるな


また第二に、その因果関係と関係するのですが、「過去が〇〇だからといって、未来もそうなるとは限らない」ということも哲学では明らかですが、これも知っておくべきであると思います。

すなわち、先ほども述べたように、人間は、過去の出来事を、別の出来事に恣意的に結びつけてしまう傾向がありますが、過去の特定の出来事が、未来の特定の出来事に結びつくかどうかは、誰にもわからないし、100%予測をすることは不可能なのです。にもかかわらず、そうした考えにとらわれて生きると言うのは、原理的に間違っており、時間の無駄だと思います。

そして、過去の体験を、現在や未来にも適用して一般化(ルール化•法則化)してしまうことや、過去の事実(だと思っていること)から直接一つの「〜すべき(すべきじゃない)」という当為を導き出すのも、飛躍があり原理的に無理があります。

そもそも、私たちが体験する様々な事象については、知覚できないものが無数にあり、予測できないことも無数にあり、過去の体験から他の事例にも完璧に当てはまるルールや法則や当為は、独断的に導き出せるものではないのです(自己啓発の怪しい「宇宙の法則」はその典型だと思います)。

 
 

「AかBか」の二元論に気をつけろ


また、第三に、私たちは日常生活の中で、「これが正しいか、それともあれが正しいか」と言うような二項対立的な問いを発することがありますが、これも幻想や億見に基づいていると思います。

どういうことかと言うと、私たちが2つの選択肢を提示したり、提示されたりすると、現実がまるでその2つのどちらかしかないように思えてしまいますが、現実はもっともっと複雑でダイナミックなものであり、その2つの側面だけで構成されていると言う事はありえないと言うことです。

したがって、「AかBか」という2者択一の中で、思い悩んだりするのはあまり得策ではなく、時間の無駄ではないかと思うのです。

 
 

人間は原理的に真理を決めつけられない


第四に、人間は、人間のOS (主観)に限定されて、物事を認識するので、それ故、客観的事実に到達することができず、ましてや、絶対的真理は分かりえないと言う事は、哲学で原理的に明らかにされています。

にもかかわらず、私たちの社会には、物事を決めつけて論じる人がいかに多いことか。しかし、上記の意味で、もし誰かから何かを決めつけられた時も、それについて思い悩む必要はないと言うことです。

そんなことに思い悩むんだったら、私たちは絶対的真理を知り得ないので、謙虚になって少しでも本質を見出せるように、お互いに対話をして、何が本質的なのか、何だったら合意できるのかを見出して、それに基づいて物事を進めていくことに時間を使ったほうがいいんだと思います。

 
 

おわりに - 哲学を学ぼう


以上、4000週間という限られた時間を生きるためには、自分にとっての優先事項を見出し、それに基づいて生きていくと言うこと。そして、優先事項を生きるためには、極力優先事項に使う時間を妨げるような、幻想や臆見に基づいたことに時間を使うべきではないと言うこと。そして、幻想や臆見を乗り越えて良い人生を歩むためには、哲学が必要であると言うことを述べさせていただきました。

そもそも、哲学は、(1)「物語」(確かめられない幻想)に惑わされずに、(2)物事を初め(そもをも)から問い直し、(3)物事の原理や本質を見出していくことにその核があると思います。こうした哲学を知らずに、4000週間を生きていくのは、地図や羅針盤なしに航海に出るようなものだと思います。

ぜひ、もっと哲学を学びましょう。

以上が私の確信ですが、もちろん絶対的真理ではありません。あなたはどう思われますか?

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?