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やられたらやり返さずにコラボする

日本ではドラマ「半沢直樹」がすごい人気のようですね。

実は、私も「半沢直樹」が気になって、ネットでこれまでもちょくちょくチェックしてきました。その中で、今回パート2ともいえるシリーズの中で、私は何かとても新しい発見をしました。

それは「ネガティブケイパビリティ」を使いながら「敵とのコラボレーション」を行ったことが何度もあったと言うことです。

なんのことだかわからないかもしれませんので、ちょっとご説明申し上げます。まず最初の「ネガティブケイパビリティ」ですが、これはウィキペディアによると、「不確実なものや未解決なものを受容する能力」だそうです。

そして、「敵とのコラボレーション」ですが、これは文字通り敵だと思っている相手と協力することを意味しています。同じタイトルの本もあるので、読まれた方もいらっしゃるかもしれませんね。

つまり、両方を合わせると、つまり、過去から積み重ねた様々な問題が未解決のまま存在していても、それを一旦保留して、当面の課題に対して敵と思ってる相手であっても協力して解決に当たると言うことを意味していると言うわけです。

ドラマの中では、様々な対決が描かれていたと理解しています。

それは、「大和田常務と半沢直樹」であったり、「黒崎監査官と半沢直樹」であったり、「白井亜希子議員と半沢直樹」であったりしたようですが、そのいずれもがお互いに複雑なモヤモヤした感情を持ちながらも、それを一旦保留にして、互いに共通の課題や敵に対して立ち向かったということが今回特筆すべきことではないかと感じたのです。

これまでの、日本の映画やドラマの中では様々な敵討ちのストーリーが示されてきたと思います。それは赤穂浪士の話であったり、戦国武将の話であったり、前回シーズンの半沢直樹のストーリーであったりもすると思います。しかし、今回のストーリーの中では、敵とコラボすると言う新しい側面が見えていたように感じたのです。

「えー、そんなことありえないよ。ドラマだから成立するんだよ」

と言う声が聞こえてきそうですが、実際は現実の世界にも見られることのようです。

例えば、先ほど紹介した「敵とのコラボレーション」と言う本の中には、コロンビアの実例が紹介されています。そこでは、長年にわたって政府とゲリラ組織との対立、ゲリラ組織同士の対立などが展開されていたのですが、大統領が意識的に政府関係者とゲリラ組織の対話をする場を作り続けた結果和平合意が締結されたと言う事例があります。

もちろん、1回対話をする場をもったからといって、それで自動的に対立している者同士が仲良くなったりするわけではありませんでした。それは、何ヶ月にもわたって、継続的に場を持ち続けたのです。しかも、いつ暗殺事件が起きてもおかしくない位の関係だったので、実際に顔を合わせないで、電話回線で場を文字通りつなぎとめることから始めたと言われています。そして、そういった機会が何ヶ月もわたって続いていた時、少しずつ、それまでと違う「新しい未来の芽」が立ち現れてきたのです。それは、ジョークを言って相手を笑わせたりとか、ギターを片手に歌ったりとか、全く予想もしないような未来が今ここで現れたのです。

そしてその後、歴史上初めてゲリラとの和平合意が成立したと言うのです。これは事実です。

もし政府関係者や、ゲリラ組織が、過去の記憶や感情をダウンロードし続けていたら、このような和平合意は成立しなかったことでしょう。しかし、お互いの過去の記憶や感情をストップさせ、自分の中にある「決めつけの声」を保留し、自分の殻の外に出て、「皮肉の声」も保留し相手の目となり耳となり心となり共感を積み重ねる中で、過去を手放し、強い勇気と「意志の声」に耳を傾けながら受け入れた結果、「敵とのコラボレーション」が実現したのです。

だから、テレビは映画の中だけでなく、現実世界でも「敵とのコラボレーション」は可能なのです。

さらには、先ほど指摘した「ネガティブケイパビリティ」は、下手に結論を急がず、未解決の課題やモヤモヤした気持ちをそのまま持ち続ける事を意味しているわけですが、こうした保留の態度こそが敵とのコラボレーションを実現する上でも非常に重要になってくると思うんです。もちろん、「あの人は敵だからやっつける」と言うのはわかりやすいですが、実際にそんなことをしていても、お互いに何も良い事は無いわけですし、状況は一向に改善しないと思います。であるとするならば、一旦その敵対的な過去や感情を保留し、新しい未来に向けて、心、ハートをオープンにして、意思の力を使って過去を手放し、未来を受け入れることをした方が良いのではないかと思うのです。

なかなか日常感覚や、過去の記憶からすると受け入れがたい考え方かもしれませんが、今回、これだけ新型コロナウィルスをきっかけとして、様々な対立が先鋭化している状況を鑑みると、一旦過去を保留して、「敵とコラボレーション」する中で過去を手放し未来を受け入れることも重要になってくるんじゃないかと思うわけです。

最後に、先ほど日本のドラマや映画の中で様々な敵討ちが描かれてきたと言いましたが、日本の歴史の中では、世界に誇れる敵とのコラボレーションが、薩長同盟と言う形であったと言うことを今思い出しました。私たち日本人にも敵とのコラボレーションは可能なんだと思います。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏



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