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脳が全てを決定するなんて断定できない - 哲学からの反論

はじめに


突然ですが、皆さんは人間には自由意志があり、それが人間の行動を促していると思いますか?

「そんなの当たり前じゃないか」

という声が聞こえてきそうです。私も自由意志はあり、それが行動を促していると確信しているのですが、「違うかもよ」という考え方もあるようです。

すなわち、「自由意志が体を動かす」ということについて、幸福学の前野隆司教授らが、意志の前に脳がシグナルを送ってすでに身体を動かしており、私たちは意志で後付けしているだけであり、自由意志ではなく全ては脳が決定しているのではないか、という受動意識仮説を提唱していますが、どう思われますか?

 
 

哲学からの反論


哲学者の苫野一徳さんの「自由はいかに可能か」の本の中に以下の記述を見つけましたので、シェアしますね。どうやら、「全ては脳が事前に決めている」とは断定できないようです。

「たとえ脳が一切を決定しているという仮説がきわめて妥当であったとしても、それも実のところ、哲学的(原理的)には「超越論的主観性」における「確信」「信憑」にすぎない。疑い得ないのは、〝わたし〟がそのような「確信」「信憑」を抱いているということだけであって、この「確信」「信憑」の内容それ自体(脳決定論)はどこまでも懐疑可能である(したがっていうまでもないが、この〝わたし〟の「確信」「信憑」も、実は脳によってそのようにプログラムされているのだなどという主張は無効である)。  脳の機能を次々と解明していく、脳科学の研究はいうまでもなくきわめて意義深い。しかしそこから、一切を脳が決定しているのか否かという問いを立てることは、飛躍であり誤謬である。これまで述べてきたように、それは偽問題なのだ。脳科学の観点からこの問いを論じることは、確かに面白いことではあるかもしれないが、しかしこの問いに答えることは決してできないのだということは、改めて十分自覚しておくべきだ。」(第一部自由の本質より)

 いかがですか?

ちょっと難しいかもしれないので、「なぜ脳が全てを決定しているとは断定できないのか」について、私なりの理解をできるだけやわらかい言葉で書きます。

●そのように際限なく疑えてしまうのは、実験結果が哲学(現象学)的には、疑いうること(超越)であり、「受動意識仮説は正しい(脳は全てを決定している)」と思ってしまったことは疑い得ないこと(内在)であり、その人(例:前野さん)にとっては信憑性を持つかもしれないが、現象学的には、(上記で示したように)いかようにも疑うことができてしまう。

●「脳が人間の活動を決定しているかどうか」は「問い方のマジック」であり、「AかBか」と言われてしまうと、そのどちらかが正しいと思ってしまいます。したがって、実際は「どういう時に脳が自分の活動を決定していると思うのか」「どういう時に自由意志が自分の活動を決定していると思うのか」を検討していくべき。

いかがですか?

その他、哲学的反論を私の言葉で以下に捕捉して記します。

 
 

完璧な実験なんてない


●脳に装置をつけて「科学的」に実験を行ったとしても、その結果はその時だけたまたまそうなったのかもしれないし、その時ある条件がたまたま揃ったのでそういう結果になった、という可能性もあり、そうした結果の正しさはいつまで経っても証明できない(疑いうる)。

●つまり、特定の実験だけでは断定できないし、何度実験をやっても、完璧な条件で常に実験が行われているわけではない(例:実験者が気がついていない要因がその都度発生していて、それが結果に影響を与える可能性もある)

 
 

人間の活動は多種多様で全部をカバーできない


●人間活動は多種多様であり、手足を動かす以外にも無数の活動があり、それを全て脳が決定しているなんていうのは無理があるし、全ての活動を確かめ切れない(例:私のダジャレは全て私の自由意志から独立して私の脳が事前に作っているとは断定できない、旅先を決める活動も、何を食べるかを決める活動も、学生たちが進路を決定する活動も、そして何よりも哲学的思考も、全て脳が本人の自由意志とは独立して事前に決めているなんてことは断定できない)

 
 

どこが始発点になるかは断定できない


●脳の機能を始発点にはできない。他の無数の要因が関係しているから(例:人間の発言は本や他者とのやり取りや学習を通じて過去の記憶が関係しているので、自分の脳の働きを始発点にはできない)
●一つの活動が起こるためには、事前に無数の要因が時間的にも空間的にも関与している可能性があり、脳だけを唯一の始発点にはできない。

という感じでしょうか。

 
 

おわりに


まとめると、「脳が全てを決定している」なんてことは、(1)原理的に不可能であり、(2)「自由意志がないこと」を証明するための完璧な実験などなく、(3)人間の活動はカバーし切れないほど多種多様であり、(4)人間の活動には無数の要因が関与しており脳の機能を全ての活動の始発点にはできないなどの理由から断定できないということになると思います。

また、今回の考察では、脳と人間の意思と身体を切り離してきましたが、最近の研究では、脳と人間の意志と身体は切り離せないという見解もあるようです(例:身体は意識に含まれる)。

だからこそ、可能な限り普遍的な合意を求めて、問い続けること、検証し続けることが重要になってくるんだと思います。絶対的な答えなんてないんだと思います。

これは私の個人的な意見ですが、皆さんはどう思いますか?

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏

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