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内なる戦士はつながりたがっている




人類の教育の歴史を振り返ると、それは国家に都合の良い、あるいは企業にとって都合の良い「戦士」を育成するための教育であったと言う指摘があります。

具体的には、国が求める人間像があり、企業が求める人間像があり、その人間像に合わせた考え方やスキルを身に付けさせることが重要課題となってきたと言うわけです。例えば、上からの命令や指示に対して反抗しないで、従順に従う人間像がそこにはあります。そして、上の人間が正しいと認めた「真理」をそのまま受け入れ、それに対して疑問の余地を挟まず、ただ飲み込む人材が求められたりするわけです。

しかし、今日はそうした「上から与える教育」が破綻をきたし、多くの鬱や不登校や引きこもりや自殺を生み出しています。そんな中求められるのは、私たち人間の本来の命の姿に立ち返り、そこから本来の創造性や自主性や協働性を「引き出す教育」ではないかと言われています。例えば、天外司朗さんは、「戦う力」に対して、「融和力」と言う力の今日的な必要性を強調しています。

しかし、長年続いてきた「戦士のための教育」の影響はパワフルでなかなか抜け出せるものでは無いようです。

そんなことを感じたのは、オンラインでよく参加するイベントです。大抵、日本人が多く参加するオンラインのイベントでは、ホストの人が参加者に意見や感想を求めても、とても静かで、ほとんど誰も発言しないことがスタンダードとなっています。

それは、個人の事情もあるでしょうし、文化的な背景もあるでしょう。実際、オーストラリア人などを対象としたイベントなどでは、子供たちも含めて、活発に発言が飛び交い、全く発言がないと言う状況はごく稀にしか起こらないように感じています。

もちろん、オーストラリアであっても、なかなか発言しない人が多い場合もありますので、どちらが良いとか悪いとか言う問題ではないと思います。でも、もしその「静寂」が、そこに存在もしていない「他者」を自分の中に取り込んで、自分で自分を監視してコントロールするような心理的な構造が元にあるのだしたら、それは、大いに内省すべきことではないかと思うのです。

つまり、強力な他者(超自我)を自分の中に取り込んで、自分で自分をコントロールしてしまう心理的な構造は、まさしく軍隊の中にいる兵士の心理構造と酷似しているからです。

もちろん、こうした「戦士の心理構造」は100%否定すべきものでは無いのかもしれません。そのおかげで、全体に秩序が保たれ、スムーズに物事が進み、物事が発展してきたと言う側面も否定できないからです。

しかし、それは今日ウクライナで展開している戦争に見られる構造と無関係であるとは言えないと思うのです。すなわち、様々なマスメディアを通して情報戦争が行われ、自分の知っている範囲の情報を真理だと思い込んで、それに従順する姿勢や、相手を無条件に敵視する姿勢も、これも「戦士の心理構造」であると思うのです。

もし、本当に平和を目指すのであれば、すなわち、天外さんのいう「融和力」を現実にしたいのであれば、私たちは自分たちの中にある「内なる戦士」と向き合う必要があるんではないかと思うのです。

その場合に重要なのは、「内なる戦士」を削除しようとするのではなく、それを自分の中に統合すると言うことです。すなわち、本当に大切なものを守るのであれば、言い換えれば平和を守るのであれば、何らかの形で「戦う」必要性もあるからです。そうした意味での「戦う力」を自らに統合することによって、そこから「融和力」が生まれてくるのかもしれないなと考えています。

それなしに、みんなでつながっていきましょう、みんなで和になりましょうと言っていても、それは絵に描いた餅であり、実際に「戦う力」と「優和力」を統合しない限り、平和は現実的なものにならないと思うのです。

私は「敵とのコラボレーション」と言う本を読んだことがあるのですが、この本の中で、長年南米コロンビアで続いていたゲリラ同士の内戦が、停戦していくプロセスを学んだことがあります。その中で、ゲリラ同士がお互いに疑心暗鬼になって、一触即発の「戦い」の状況にありながらも、その中から少しずつ「つながる力(融和力)」が立ち現れてきて、お互いに冗談を言いやったり、歌を歌ったりする関係性になっていた事実が紹介されているのです。

お互いに対立する個人同士、集団同士であっても、共に時間と場所を共有することによって、お互いに実存的な側面(弱さも含む)を共有し、そこから「つながる力」が生まれてきたのだと私は思っています。

したがって、「融和力」と言うのは、「戦いの力」と真っ向から対立するものではなく、実は両者はコインの裏表の関係にあるかもしれず、「戦いの力」の中から漏れ出てくる「つながる力」を発見していくことが、「融和力」を発揮して平和につながる第一歩になるのではないかと感じています。

先ほど触れたような、ワークショップやセミナーなどで見られる発言できない状況も、頭の中から様々な思い込みを一旦括弧に入れて(エポケーして)、実存レベルから自分を見つめ直し、他者を見つめ直す必要があるのではないかと思うのです。そうすることによって、「内なる戦士」と向き合いながら、「融和力」や「つながる力」が湧き出てくるのではないかと感じています。

つまり、自分の中にある様々な思い込みを一旦脇に置いて、「内なる戦士」と向き合うことで、実存レベルで自分の「弱さ」を認識し、それを他者と勇気を出して共有することによって、そこから「融和力」が出てきて、発言に結びつくプロセスが展開するのではないかと感じるのです。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏



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