家族を文章にする理由(60代母と、90代祖母との暮らし_vol.0)

「60代母と、90代祖母との暮らし」というシリーズを書くことにしました。

自身の家庭でのことと、感じたことの記録です。 主に介護生活の様子であり、きっと世界中のどこを覗いても目にする普遍的な「家族」の話しです。

***
10年以上前に父親が他界しており、
今、地元には、母と祖父母が生活しています。

祖父母は90歳を超える長寿です。
ながく小規模農家として暮らしを送ってきていて、
栄養バランスの良い食事と、農業による日常的な運動が
長寿の秘訣だと思います。

母は、長く地元で保育士をしていて、
保育もまた体力のいる職業ですが祖父母同様に
バランスの良い食事に支えられ、今も働き続けています。


そんな家庭ですが、
祖父が数年前から認知症を発症し、それから年々症状が進行する祖父を
母と祖母が家で祖父の介護をしてきました。

同じ歳の祖母も、年相応に身体の不具合があったり、これまでの
日常生活をするには不便なことが多くなっています。

母は、祖父母の状況を気に掛けながら、仕事や家事をして日常を
送っています。つまりは家ではひとり介護生活を送っています。


私は4ヵ月前に東京で会社を退職し、その後は
海外滞在と、JICA海外協力隊の研修合宿を長野で行っていました。
やっと半月前に、まとまった期間実家に帰ってくることになりました。

そうして今実家で過ごしながら、この自分の家族のことを
ここに文章で残したいと思うようになりました。

その理由(目的)はいくつかありますが、一番大きな理由は、
「毎日の生活に奮闘する家族の姿を、記録して残したい。」
ということです。


私自身、身体を使って何かを手伝うことは勿論ありますが
しかしそれは物理的に近くにいる時にしかできません。
約半月後にJICA海外協力隊の海外赴任が始まれば、
手足を使って手伝う事は出来なくなります。

私にでき得ることはなんでもしよう。そう思っていますが、
でき得ることは案外、そう多くなさそうです。

介護(ほとんど老介護といって間違いない状況)のある生活は、
想像を超える困難と混乱が入り混じったカオスな生活です。

ケンカもよくあります。


そんな中、毎日いろんな側面で創意工夫をこらして祖母との日常
生活を生きている母の姿は、少なからずしなやかさと強さがあり
格好いいと思いました。


しなやかさの前には、イラついたり怒ったりが勿論ありますが、
一晩寝てその気持ちを昇華して、翌朝また起きて朝ご飯をつくる ―

そんな彼女の中に視える精神的なしなやかさと、
それを芯に動いている姿を美しいなと思います。


祖母も、自身の身体がかかえる不便さや不快さを、腰が曲がった
小さな身体で受け止めて、
時にはぶつぶつと何に対してか文句を呟きながら、90歳を超える現在でも
ほぼ毎日、ゴロ付の台車を押しながら近所の畑にでかけていきます。

祖母の姿には、祖母個人の生きざまと、ヒトの歴史がつまっているような気がします。


そんな家族の姿を文章に残すことで、彼女たちの一生懸命に生きてきた
時間・生きている時間をいつまでも世界に生かしておきたい。


本人でない第三者が書いた、彼女たちの姿。

もし本人たちが読めば、はたから見た自分自身の姿は、普段主観的にしか見えない自分の姿を俯瞰でき、
日々の瞬間的な辛い・苦しい場面もひとつのストーリーのエッセンスとして捉え、
その後の面白い出来事や喜ばしい場面も含めて
自分に類似する他の誰かのストーリーを読むかのように、文章を楽しんで咀嚼できるかもしれない。


だから、本人ではない私が残す意味があると思う。


私としては、自分にでき得ることが多くないで、
今この瞬間の生活や困り事を手助けすることとは別に、
彼女たちの人生になにか小さくてもいいから、私からの感謝と尊敬の
気持ちをこめた贈り物をしたいと思っています。

それで思いついた案の一つが、このnote.

まずは始めてみようと思います。

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