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実家に眠るフィルム写真


空き家になっている実家の掃除をしていると、
現像されたフィルム写真が次々顔を出す。

両親が結婚したときの写真。
兄が生まれたときの写真。
わたしがお腹の中にいる写真。


色褪せた写真たちが、覚えていない幼少期のことを教えてくれる。



重い引き出しをあけると大量の写真とネガを発見。
わたしたちに向けられた愛情が、1枚の写真から溢れ出している。


なんだか心が温かくなって、
「次の写真、次の写真」と、
気がついたら掃除の手が止まり、
目の前にはたくさんの写真が広がっていた。








それにしても、思わず声が出てしまうほど良い写真ばかり。
父は写真を撮るのがどうやらうまい。

そして信頼している人に向ける顔。
兄もわたしもこの瞬間がきっと1番可愛いのだろう。




父がカメラを構えている記憶はほとんどないが、
記憶の奥底に眠っているであろう父の姿に憧れているのか、
わたしも写真を撮ることが長いこと好きだ。



カメラを持ち始めたのは、高校を卒業して大学生になるタイミング。
大学合格祝いに何がほしいか問われ、
なぜかカメラと答えた。


それまで家に眠るカメラたちに興味を示したことはなかったのに、
不思議なほどカメラがほしいと思った。


そしていざ写真を撮り始めると、すごく楽しくて、
友達の可愛い表情を狙っては、良い表情が撮れると、
心から幸せな気持ちになった。


なんであの時カメラがほしいって言えたんだろう。
8年経ってもなお、密かな疑問だったけど、

何気ない日常をただ残しておきたい、それがいつか大切なものとなる。
そんな写真の素晴らしさを知らずに教えてもらっていたのかもしれない。




せっかくなので少しだけデジタル化してみた。



















すやすや




写真は、家族の愛をそして輪を、
改めて教えてくれて、
そしてそれらを大きくもしてくれる。


例え、距離ができてしまった家族だって、
笑い合っている1枚の写真さえあれば、
温かい想いと共に繋がりを保てる気もする。


もちろんそれは家族だけでない。
友達や恋人だって同じだろう。



わたしはそんな想いを抱きながら、
誰かのために写真を撮ることがほとんどだ。

目の前にいる人にとって、ほんの少し先のいつか、
いや今回のわたしのように20年以上先のいつか、
何か大切なものを思い出したり、心のよりどころになったり、
そんな温かい感情を届ける写真を残したい。


そして写真を通して、
自分への愛や、隣に居てくれる人への愛を、
改めて大切に想うきっかけになってほしい。



そんな願いを込めながら、
1枚1枚大切にシャッターを切っている。




ずっと写真を撮り続けたいな。
そしてときどきでいいから印刷することも忘れずにいたいな。




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