ライダーズ・オブ・ジャスティス/観てみて_5

◎おじさん達のジュブナイルストーリー⁡

「ライダーズ・オブ・ジャスティス」⁡

公開初日に鑑賞。3番シアターの扉から細い通路を進み、スクリーン前で後方席への階段を上るべくUターンしようとして驚く。一人で座っている女性が沢山おられたから。アクションを売りのひとつとして大きく掲げているこの映画で、このおひとりさま女性率の高さは予想外だった。彼女らの中には北欧映画好きの方もアクション映画好きの方も当然おいでであっただろうが、多くはマッツ・ミケルセンが目当てとお見受けした。劇場での上映予告で偶々この作品を目にしていた私は、面白かったら良いなーくらいの軽い気持ちで観に行ったゆえ、想像以上のミケルセン熱を目の当たりにして驚いたように思う。⁡

いや本当にごめんなさい。もしこの駄文に目を通してくださっているミケルセンファンの女性がおられたならお詫びします。ミケルセンファンの男性にもお詫びします。自分の世界と視野が狭いだけなのは分かって書いています。⁡

ただ、、、何というか、好きな俳優さんの新作を観る時って嬉し過ぎませんか。期待に胸ピョンピョン躍らせてしまうし。だからたった今、そういう人がそれを顔には出しちゃいけないと自分自身と格闘しているかもしれない事に、そういう人と同じ空間にいるかもしれない事に、私のテンションも上がったというか。なぜなら私が推し俳優の作品を観る時がそうだから。嬉しさとの闘い@公衆の面前だから。なので沢山の誰かにとってのそういう俳優さんの作品を、自分も今から観られるのだなと思ったら期待値が爆上がりしたのです。そういう事なのです。⁡


◎振り返り(思い切り内容に触れます)⁡

コピーは『最強の軍人×理数系スペシャリスト 予測不可能な復讐劇が幕を開ける!?』です。ポスターにはメインボーカル&バックコーラス、みたいな感じでミケルセンとユーモラスな雰囲気の男性三名が前後に並んで写っています。映画の主人公はマッツ・ミケルセンではあるけれど、この作品は『理数系スペシャリスト』と称されている男性たちのそれぞれもが、それぞれの人生の主人公であることもきちんと示されます。⁡

この理数系スペシャリスツは歳を重ねたナード達とでも言えばいいのか、そういう感に満ちていて、社会では非常に生きづらいタイプの人達の様に見えました。一人は穏やかな学者。研究内容が認められず勤務先をクビになります。後の二人は強烈な個性の持ち主。他者とのコミュニケーション上で生ずる極端な言動に始めは客席から笑いも起こっていました。⁡

真面目な事をいうとこういう人たちを笑いの題材にするのは好きじゃないです。でもここでは敢えて笑わせにかかります。存分に笑わせて、そして徐々に彼らスペシャリスツが背負ってきた苦しみが何なのかを我々に提示します。ちょっと笑えない。絶対に笑えない。⁡

初めて人が殺されるところを見て、それでもその死体を蹴りまくった彼が、それほどまでに憎しみをぶつけたのは何故か。もう一人の彼が、20人以上ものセラピストに関わられてきたのは何故か。事細かには語られないけれど、笑いに散りばめて痛いくらいに伝えられます。⁡

ミケルセンの娘役はマリエル・ヘミングウェイ似のふくよかな女の子。中学生位なんでしょうか、とても良い子です。目前で母親が爆死して辛くて当然なのに、父はそれを受け止めてあげられない。娘をとても大切に思っているのに、辛くて自分の余裕の無さには気づけていない。父は娘に悲しみを口にするなと咎めます。すると彼女はごめんなさいと謝るのです。観ていて辛かった。 娘も父をとても大切に思っているんです。⁡

話の根幹は復讐です。そしてそれに伴う悲喜こもごも。ヨーロッパ諸国の経済格差がもたらす恐ろしくて辛い一面も垣間見られました。デンマーク語や文化を知っていたら、もしかしたら救い出された男娼の青年が呼ばれていた名前に何か意味があったのかとか、ブライアン・メイ似の彼の本当の出身地の土地柄に何か意味があったのかとか、分かったのかも知れないけれど、悲しいかな私にはさっぱりでした。でも、それでも余りあるくらい伝えるべきものをちゃんと伝えてくれる内容の作品だったと思います。⁡

後半、学者の男性が「原因を見つけても救われない。原因にも原因があってそれは様々な原因が絡み合った末に生じたもの。そのそれぞれの絡み合った原因にもまた様々な原因が絡み合っていて、それはずっとずっと遡って存在しているんだ。」という様な事をミケルセンの娘に語ります。苦しみの渦中でその原因を求めることは原因のせいにしてすがること、でもそれは無理だし無駄だという様なことを。(これ、デンマーク語で語られる仏教、まるで縁起じゃないかと私には思えました。)そして、それを口にした彼自身もその瞬間、自らの苦しみを解き放つきっかけを得るのです。気付いた彼の昂った表情に私もとても救われました。⁡

エンディング直前のアグリーセーター選手権(ブライアン・メイ似氏が優勝だと思いました!)シーンは、笑わされるところであり、心が暖かくなるシーンでもありました。つまりはハッピーエンドと言えるのでしょう。あの人たちには幸せになって貰いたい、そう思いました。⁡

そしてラストシーン。復讐のきっかけのきっかけのきっかけの・・・どこまで遡れば良いのか分からないけれど、縁起のひとつを成す事象をもたらした女の子が、とても幸せそうな姿で再度現れます。心が震えました。ここは学者の気付きの再現。そういうことなんだ、人生ってそういうことなんだ、と、彼女の姿越しにこの作品の登場人物たちの人生、ひいては我々の人生を想いました。⁡

観終えた後でタイトルの意味を考えると、とても感慨深いものがあります。116分間に様々な要素が込められた、でもけしてぎゅうぎゅう詰めではない映画、強いて例えるなら、モンティ・パイソンのスケッチをより優しくリアルに私たちの人生に寄せて表現した映画、だと思いました。とても素晴らしい作品でした。⁡