百合小説「狭い世界」

 2XXX年ーー。
 2000年代中盤に蔓延したウイルスにより、人類は生殖機能を失った。子孫を残せなくなった人類は、性から解放され、同性愛や異性愛といった問題は自然と消滅した。一方で、医療が発達したことにより成長スピードが遅くなり、長寿命化していた。長すぎる人生の中で、共に生きる相方を探すことは人類に残された選択であった。

 旧日本国、現在のコロニー05JP。
 東京と呼ばれた場所にコロニー05JPは存在する。ここにはおよそ100万人の人が住んでいる。元々人口減少の激しかった日本では、早々に地方都市機能が消滅、残された人々は東京で都市を形成した。その後まもなく、世界中でも似たような現象が起こり、コロニー制度が全世界で導入された。コロニー制度では、コロニー間の行き来に制限が無く、住みたいコロニーに申請すれば住めるようになった。それによって人種の差がなくなり、あらゆる差別も消え去った。残った人類は穏やかに日々を過ごすようになった。

 私は窓から視線を室内に戻し、袋菓子を貪り食っている同居人に目を向けた。あらゆる生産がロボット化し、働く人間の必要な数が減った現在では、人間に残された行動は娯楽を楽しむことか、ロボットには出来ない創造性のある行為かになった。
「ミオン、今何袋目?」
「3!」
 ミオンは脂ぎった指を3本立てながら、こちらに笑顔を向けてきた。
「いくら太らないとはいえ、そろそろ止めないと、支給きちゃうよ?」
「大丈夫! 支給も入ります!」
 またにっこりと笑顔を向けたと思ったら、残りの始末に戻った。
 ミオンと私は、冷凍保存されていた精子と卵子から同時期に誕生した人間だ。ルーツになるドナーが異なるため、血の繋がりはない。コロニーの教育機関で知り合い、気が合ったのでそのまま卒業後も同居している。何となく同居をしているが、はっきりと相方という確認をしていないので、少しもやっとした感情は彼女に対して残っている。
 高層階から下層の遠くの海を見ながら、ボリボリという音を聞いていると、玄関チャイムが鳴った。支給が届いた音だ。受け取りに行くかと腰をあげたら、すでにミオンが取りに走っていた。支給もコロニーから提供される物で、決まった時間に配達ロボットが食事を届けにくる。
「今日はシチューだよ!」
 嬉しそうにミオンが話ながら戻ってきた。ミオンが早速蓋を開けたので、ふんわりと柔らかな香りが室内を充満した。
「じゃあ、食べよっか」
 ミオンの向かいに腰掛け、私も蓋を開けた。野菜と人工肉がごろごろと入っていた。人工肉を食べるときにいつも思うが、私と人工肉の違いは遺伝子だけで、人類に変わる雑食の生物がいたら、きっと私は食べられるために生産される側になるだろう。と言っても、人工肉は生物丸々を作るのではなく、可食部分の肉のみを合成しているから、完全には違うのだけれど。それでも、思ってしまう。人類についても。

 支給を食べ終えた私たちは気が向いたので、屋上に上がって、水平線の海に沈む夕日を眺めていた。
 今日も何もしなかったのに1日が終わる。
 何もしないで終わる1日を過ごす人類の方が多いのに、なぜか寂寥の感が湧いてきた。
「ミオンは、別の何処かに行きたくはならないの?」
 隣に座るミオンの方を見れなかった私は、夕日を乱反射する海を見つめながら聞いた。
「ミオンはここが一番だよ。ヨーコがいるここが私の居場所だよ。ヨーコは何処かに行きたい?」
 ミオンがこちらを向いた気配がしたが、そのまま海を眺め続けた。
「私は……、私は変わることは怖いと思う。でも、このままじゃ駄目な気もする。そのためにどこか別の場所に行ったら変われるのかもしれない」
 でも、と心の中で続けた。こんな世界じゃ、どこにいてもきっと変わることはない気がした。
「ミオンは、私とずっと居てくれるけれど、他に探したりはしないの? もっと私より良い人がいるかもしれないんじゃない?」
「それは、そうかもしれないけれど、生まれたときから一緒だから、もうミオンにとってヨーコは私の一部だから、切り離せないんだよ」
「そうか……、それは、私もそうかも」
 確かにミオンは私の生活の一部だ。自我が覚醒してからずっと一緒にいるから、居ないことを想像したことがなかったのかもしれない。私にとってもミオンは私の一部だ。
「だから、あまり深く考えなくても良いんじゃないかな? ヨーコがどこに行ってもミオンはきっとそばにいるし、そばに居られなくても、ヨーコとミオンは一緒だよ」
「そう、ね……」
 私が居なくなってしまってもミオンが私を忘れないでいてくれるのが嬉しかった。でも、ミオンと一緒に居ない未来を想像してみたら、急に離れ難くて仕方なくなった。その気持ちのまま、そっとミオンの手に自分の手を重ねた。ミオンは一瞬驚いた素振りをしたが、振り解いたりせず、そっと指を絡めて、肩に頭をもたれ掛けてきた。
「ヨーコは難しく考えすぎなんだよ。この世界で、ミオンがヨーコと出会えた、それだけでミオンは幸せだから、ね。居なくなることは無いからね」
「うん」と私は頷いた。何年ぶりか分からない涙が溢れてきた。それを見たミオンが空いている手で拭ってくれた。
 ミオンの柔らかい髪が頬をくすぐる。こういうことを幸せと呼ぶのだろうか。
 いつの間にか沈み切りそうになっている夕日が最後の光を海に振り撒いていた。キラキラと光る海と、溢れてきた涙で、視界がぼんやりと橙色に霞む。暖かな光の中で、ミオンの重さだけが現実だった。

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