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ふつうとちょっと変。ふたつの世界に引っ張られる|江國香織『神様のボート』

中田敦彦さんのyoutubeチャンネルで、文学は課題定義だ!と言っていたのを聞いて学生時代の授業を思い出した。そう言えばそうだった。

江國香織の本が好き。読んでいたら切なくなる、でもどこかふわふわ気持ちよくなる。
でもこの本も、課題定義なんだよな、と思って読み解いてみた。

『神様のボート』あらすじ
葉子と草子は母娘2人暮らし。葉子が骨ごと溶けるような恋をして生まれた草子。“あの人”(葉子にとっては好きな人、草子にとっては父親)と出会うために2〜3年おきに関東近郊で引越しを繰り返す2人。
物語は草子が小学校中学年の頃から始まり、彼女は中学生を経て高校生へと成長していく。彼女の成長とともに物語が進んでいき、成長とともに草子の感情に変化が起こって行く。

大好きな本だが特に見事だと思うのは
・思春期の草子の心の描写
思春期ってこういうきついこと親に言って後悔しちゃうよねーという痛い経験をすごく繊細に描写してる。
・飄々と生きているようで葛藤している葉子の描写
葉子さん飄々としてて周りを気にしなくてカッコいい!と思いがちだけど彼女の中に葛藤がないわけじゃなくそこをある種ドライに描いてるのがすごい。

最初読んだときは家族の話だと思った。草子の成長と、変わらない葉子との間に溝が生まれて行くんだな、と。
でもちょっと違うかも、と今回思った。

江國香織の作品が大好きなのだが、
このほかにも『きらきらひかる』『思いわずらうことなく愉しく生きよ』などを通して、
世間一般の“ふつう”と“逸脱”、そしてその間でもがく人を描こうとしてるのではないかと思うようになった。

『神様のボート』の例で考えると
“ふつう”は、ハルのご夫婦や友達(とその背景に見えるその親)
“逸脱”はいつまでも愛する人にいつか再開できると本気で思い旅を続ける葉子
その間で、どちらかの世界を選ばなくてはいけない、と苦しむ草子の物語ではないかと思った。

草子の言葉で最も印象に残っていることがある。
中学生になった草子が葉子に対して、泣きながら言う言葉

ごめんなさい
ママの世界にずっと住んでいられなくて。

悲しすぎる。後輩にこの話をしたら泣かせてしまった。
成長した草子は、ママの世界と友達、先生、周りの大人がいる世界がどうやら違うことに気づいてしまい、思春期の繊細さで「どちらかを選ばなくてはならない」と考えてもがき苦しんでしまったのだと思う。

そのほかにも、印象的な感情表現があり、
引っ越しはもうしたくない、と草子が勇気を出して母葉子に告げると、葉子はわかったわ、とあっさりOKしたというシーンで、草子は

わかったわ、と言われることがこんなに淋しいとは思わなかった。

と感じており、この辺りから葉子の世界との距離感を感じていたのではないだろうか。。もうママと私は違う世界に向けて歩を進めている、そんな草子の心の声が聞こえてくるよう。草子自身も葉子の世界から離れることを望んでいたはずなのにいざ放れるとなると捨てきれない、という葛藤が思春期の草子の胸の中でぐるぐるぐるぐるなっているのが見えてくる。

このように草子が“ふつう”の世界で生きながらも“逸脱”した母葉子の影響を受け、時に振りわされながらも葉子を愛し、その世界の違いを知り、どちらかの世界を選ぶ苦しみを感じながら大人になる話、だと思う。

誰でも経験する思春期の親への感情や自分の不甲斐なさ、罪悪感を織り交ぜながら、草子の2つの世界の狭間で苦しむ様を描いていて読み進めると胸がしめつけられる。
母である葉子にも娘である草子にも感情移入をしてしまう。

結婚→出産、というような王道や周りの生き方に引っ張られず、自分で生きていく道を選びたい、こんなことしたい、と思いながらも
SNSを見て周りをうらやましく思ってしまい時々焦ってしまう、そんな自分に草子を重ねた。


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