流るるもの
京都に来てから、川を身近に感じるようになった。
毎日隣にある景色で、考えごとがある時は鴨川に行く。友人と飲む時も、コンビニで缶ビール買って鴨川へ向かう。
鴨川沿いには、老若男女問わずいつも人がいて、散歩したり、談笑したり、絵を描いたり、楽器の練習をしたり。京都の日常に溶け込んでいる。
この景色を眺めていると、他人の人生の景色を見ているような感覚になる。他県だとここまで人が集う川ってあんまりない気がするなぁ。
思考はふつうに生活しているとたまっていくものだから、川はそういった目に見えないものも一緒に流してくれる力があるのかも。
自分にとっては文章を書くことも、たまった思考を流しているようで、川の流れを眺めている感じとよく似てる。
スマホに表示される人感のない数字や、時計の秒針を見るより、川の流れや太陽と月の動きを見て時を感じる方が、ゆっくり呼吸ができる気がする。
植物や動物は、その感覚だけで生きているのだよね。
意識して耳を使ってみると、雨の音も3重くらいに聴こえる。ポツ ポツ、ザッザッザ、ツンツンツン…
生野菜に何もつけずに食べてみると、咀嚼の度に甘みや苦みが口内に広がる。
人間の五感は、色んなものに阻まれて感じにくくなっているようだ。ちゃんと五感の筋トレしよっと。
川のことを考えてたら無性に聴きたくなり、
美空ひばりさんの「川の流れのように」を聴いた。沁みる...。秋元康さんがこの曲の作詞をした時、なんと30歳。若いのにすんごい歌詞だ。
レコーディングのとき、
と、おっしゃったそうな。
色んな人生の景色を見てきたひばりさんだからこそ出てきた言葉。深いなぁ。