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怒られたくない にんげんだもの

今日、会社で上司が「怒ってるアピールして、注意してやったんだよね〜」という話をしていました。Aさんが、業務連絡で周知されていたはずの内容通りのミスをしてしまったことに対して上司は怒ったようです。Aさんは仕事に対してやる気がない人ではありませんし、寧ろ「中々上手くできなくて、すみません...」と謝っているような人です。

やる気がなくて、怒られるのは致し方ないと思います。しかし、「やる気があるのに、仕事ができない人」に対して、「怒る」という行為が本当に適切なのかということは以前から疑問に感じていました。

ワタシも前に勤めていた税理士事務所で似たような経験があります。自分では一生懸命のつもりでも、中々作業スピードがあがらず嫌味を言われたり、怒られたりしていました。その内に「また怒られたらどうしよう」という思いばかりで萎縮してしまうようになり、結果として作業スピードだけでなく、数字がしっかり合わせられないようになってしまいました。合計が合わないので確認に時間がかかり怒られる。最初から合計を合わせるために、慎重になっているとそれも時間がかかるのでまた怒られるー

確かに周りから見たら「なんでこんな簡単なことができないの?」と思うミスかもしれません。それなら、なぜそんな簡単なミスを犯してしまうのでしょうか。本人のやる気以外にそもそもの説明の仕方が悪い、作業手順に問題がある、心理的要因等が考えられます。そういった要因を無視してただ「怒る」だけが本当にその人の為、延いては会社の為になっているのでしょうか。

「能力がないだけだろ」
確かにワタシが完全無欠な人であれば、前の事務所でも怒られることなんてなかったでしょう。

ワタシ自身を正当化したい気持ちも多少あるかもしれません。しかし、社会において「仕事ができる」と言われる人がいるのは、そうでない人がいるからこそではないでしょうか。

有難いことに今の会社でワタシは新人指導を任されています。今の立場では、失敗に対して怒らない、失敗したのは自分の指導不足というマインドを持つことを心がけて働いています。教えている人の中には仕事を覚えるスピードが早い人も遅い人もいます。上手くいっていない人には「何回でも同じこと聞いてもらって構いませんし、小さなことでも分からないところがあれば声掛けてください。」と伝え、気持ち的に負担が無くなることで少しでも仕事へマイナスに作用する要素を減らせればと考えています。

もちろん怒られることの悔しさから成長していく人もいると思うので、「怒る」という手段を用いた指導方法を完全に否定しているわけではありません。人の性格や特性に応じた指導が重要なのでは?ということです。

子育ての話題では「怒る」と「叱る」は違う!なんてことをよく耳にしますが、会社でもそれと同じでしょ...と考えるわけです。

何にせよ「怒る」ということのメリットは少ないと思います。ここだけの話、お客様でも温度間高い人には取り敢えず早く納得してもらえるように!という考え方になりますが、寧ろこちらが恐縮するくらい優しいお客様にはもっとあれこれしてあげたい!という気持ちも出てきます。人間だもの。




そう考えると恋人と喧嘩する時にも怒らない方がいいのかもしれないと思ったり、思わなかったり、ちょっとだけプライベートな部分を反省しました。でも何かあると怒ってしまうんですよね。だって人間だもの。


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