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『古道具屋』~文体の舵をとれ練習問題⑤簡潔性~

 子供の頃、親戚の集まりで聞いた噂話が心に残ってることあるだろう。大人たちが土地の値段やら共通の知人の近況やらを話しつくして、話題の矛先が子供の方へと伸び、成績やら性格やらをいじられた挙句、お前は橋の下から拾ったんだと教えられる。捨て子なんだと信じようが信じまいが表情を笑われて大人の酒の肴にされるだけ。暴力的な従弟たちにも付き合い切れず、端の方でジュースを飲みながら避難していると、知らんおっちゃんから声をかけられるんだ。何歳になったんだい。どこの小学校に通っているんだいとさ。名前と歳と小学校を答えると、おっちゃんはあの商店街に近いところにすんでいるなら角にある古道具屋を知ってるかと聞いてくる。知っていると答えると赤ら顔で笑うのさ。○○ちゃんは知らないはずさ。俺が古道具屋のことを教えてあげるよと語り始めてくれるのだ。

 

これから始まるのはとある地方都市にまつわる与太話だ。あの街では子供時代に誰もが一度は耳にする類の陳腐な噂だ。噂を知っている皆が自分の親戚のおっちゃんから聞いたというのだから、話にはある種の真実味があるのかもしれないけどな。古道具屋の話はおっちゃんの昔話から始まる。

 

俺も貧乏していた時分は角の古道具屋を頼ったもんだ。落書きだらけの教科書でも母の手鏡でも抜けた奥歯や箪笥の底に敷いた古新聞や宛先不明の手紙さえも、二束三文ではあるが店の婆が買い取ってくれる。

 できた金で夕べから博打へ行き、勝ったら儲けもん。負けても押入れの奥から塵芥を引っ張り出して、翌日に古道具屋へ駆け込むだけだ。

浮いた金で競輪に行ったり、麻雀をしたり、酒場を回ったりしたもんだと、ビールで喉を潤しながらおっちゃんは子供に語るのだ。

 子供は好奇心で目を輝かせて問いかける。どうして今は行かなくなったの。今行っても儲けもんなんでしょうと。おっちゃんは不意の問いかけに眼を見開きながら、両の手を叩き、笑って言う。○○ちゃんは聡明さねえ、末は博士か弁護士か。

 おべっかを嫌って、子供が答えを急かすと、あの店で売ったものは買い戻せないんだよと、おっちゃんは酔った目で天井を眺めている。売ってしまった後で、売ったのは間違いだったから返してくれとお金を持って行っても、婆はありゃ売れてしまったと言うだけだ。嘘をつくな。あんなゴミを誰が買うってんだ。金はあるから返せと言っても、婆は何も売らないなら帰れと返すだけだ。

 おっちゃんも取り返したいものがあるの。それがなあ、思い出せないんだ。何かを売って、金をもらったことは憶えているのに、次の日になると、何を売ったか忘れているんだ。心に靄がかかったように、品物の記憶だけすっぽり抜けちまってる。仲間に聞けば、教科書を持って行っていったとか、シミだらけの手紙を山ほど抱えていたとか教えてくれる。何度、説明されても人ごとにしか思えないんだよ。言われたようなゴミを持ってたことも売った覚えもない。全部が嘘で、俺は別のものを売ってしまったような気がするんだ。光り輝く宝物を無くした気がするんだよ。

どうせ記憶が飛ぶほど酒を飲んだからだろ、子供にほら話を聞かせるんじゃないよと別の年かさが口を挟む。

 知りたがりの子供は、ねえ何で忘れちゃったものを欲しがるのと、おっちゃんの酒へと伸びる手を引っ張って聞く。おっちゃんは周りに聞こえぬよう子供に顔を近づけてつぶやく。心の中の靄が大きいからだよ。忘れてしまっても、自分の心に欠けちまったもんの大きさはわかるもんなんだ。ふとしたときに気づくのさ。昔馴染みと思い出話をしても、自分だけが知らない話を聞かされているような気になる。友人の話からして、自分との思い出のはずなのに、知らない誰かの話を聞いているようにしか思えない。お前ら何の話をしているんだと言っても、もう酔ったのか、そんな歳じゃないだろうとぼやかされる。

 物をあの店に売るたび、そんなことも増えるのさ。アブラムシのついた菜っ葉みたいに穴だらけのバカになっちまう。覚えていることじゃなくて、忘れちまったことの輪郭ばかり気にしちまうんだ。

古道具屋のある商店街と川を挟んだ向こうに精神病院があるだろう。今は別の呼び方をするんだっけか。まあどうでもいいさ。あそこの中には売りすぎちまった奴が山ほどいる。おじさんの知り合いにも二、三人いるよ。記憶がインクのシミだらけみたいになっちまって、馬鹿になった奴が何十年もベッドで喚いてる。一番無くしちまったやつになると、喉が枯れるまで訴えるけど、誰にも伝わらないんだ。趣味も忘れ、夢も忘れ、仕事も忘れ、住所も忘れ、親も忘れ、子も忘れ、嘆こうにも言葉も忘れちまったんだろうな。赤子の駄々ですらない無意味な音が鳴るだけなのさ。空いた穴に風が通るような一本調子の音がぴゅーっとな。あいつは情緒も道理も忘れちまってんだろうな。

 まあ、何にせよ子供の時分に近づかないことだ。今から思い出を増やしていこうって時に売ってしまうと、文字通り空っぽになっちまうかもしんねえ。○○ちゃんは優秀だからお世話になることはないだろうけどな。

 ひひひ、実をいうとよ、おっちゃんも売り過ぎたと思ってる口なんだよ。何を忘れたのかって。○○ちゃんや、ほおら、周りを見てごらん。いろんな顔が見本市みたいに並んでいるだろう。皺だらけで酒をすする赤ら顔や姑に睨みを利かせる圧化粧やら、爺に小遣いをねだる甘えん坊やら。子供に若人に老人衆まで選びたい放題だ。親戚だからン十年の付き合いのやつもいるはずだよな。それなのにおじさんには思い出せない顔がいくつかあんだよ。何度会っても他人にしか思えない顔がなあ。この孤独は〇〇ちゃんには伝わらねえだろうなあ。話しかけられても、何言ってるかちっともわかんねえ。だから酒に飲まれるたまじゃねえのに、酔ったふりしかできねえのさ。そんなおびえるなよ。おっちゃんだって傷つく気持ちくらいのこってるんだ。どこの誰の子かわからねえ、○○ちゃんよ。この街には大勢いるんだよ、おっちゃんみたいのが。わかるときがくるさ。わかるときが。

 終り

※『文体の舵をとれ』という文章読本のお題に沿って書いた文です。
お題は形容詞と副詞を使わずに書くこと。

『文体の舵をとれ』の原著は英語のため、日本語の場合、形容動詞は使っていいのか?など作問として曖昧なところがあり、少し不親切な訳本に感じてしまいました。 
 昔書いた文を再構成してもよいとのことだったので、昔書いたものを書き直してみました。厳密にこのお題のルールを守れているかはよくわかりません。このお題は自分の表現したいことを考える段階、形容詞と副詞以外で再構成する段階に分かれて作業せざるを得ませんでした。作業効率を上げるために今回より『WorkFlowy』というアウトライナーを使ってみたら便利でした。

ご感想やご指摘等をいただけたら幸いです。

#小説 #文体の舵をとれ #簡潔性 #ホラー

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