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新たな「スピリチュアルな展開」へ2

まずは、「京都」に誘われるにあたって起こった「シンクロにシティー」について、お話ししようと思います。

この時点では、あまり真剣には受け止めていなかったのですが、「京都」に誘われるにあたって、「合鍵」というモチーフが、見え隠れしていました。

これにつきましては、過去のブログであまり詳しく書いて来ませんでしたので、この度は踏み込んで書いてみたいと思います。

会社の面接で訪れた「京都」のある場所で、「合鍵」の看板を頻繁にみるのです。

最初は、随分と合鍵屋が多いなと思ったのですが、そうではなくて、自分が勝手に、目で追っているようなのです。

私はかつてから、「京都」という土地は、「ご縁」がなければ住めない場所と思った居ました。

旅行で訪れることは可能でも、住むとなると、職場も土地も限られており、国宝級の文化財も数多くあって敷居が高く、余程の「地縁」がなければ、一般の人間には、入り込める場所ではないと思っていたのです。

自らの「意思」を奮い立たせて、住もうと思えば住めるのでしょうが、多くの「資金」か、高い「志し」がなければ、長続きはしないと思われます。

よって、私の様な「付和雷同のよそ者」は、何らかの「強い引き」がなければ、何処かで破綻するものと思われたのです。

私はこの時点で、高い「志し」があるわけではなく、職場がなければ「資金」も十分ではありません。

さらに私の「技能」が、自分の中で「京都」と結びつかず、「とりあえず、受けて見ようか」くらいの乗りだったのです。

そんな思いも半分あり、面接に臨んだのですが、そこで「合鍵」のモチーフや看板を頻繁に目にするのです。

普段なら、「ばかばかしい」で済ますところですが、心も萎んでおり、如何したわけか、気になって気になって、仕方がないのです。

そうこうして居るうちに、面接が一次から二次へと進み、気が付けば「内定通知」を受け取っていました。

これがなければ、その月の内に「関東」に戻って仕切り直して職探しを始めるしかなく、「背水の陣」での面接だったのですが、幸い、社長に気に入っていただき、職を得ることが出来たのです。

この時思ったのが、正規ではなしに「京都」に入る、「合鍵」が与えられた感覚です。

そしてこれが「場の意識」の感覚だとの思いはありましたが、まだまだ「信頼」するには程遠い、おぼろげな状態だったのです。

この時点で私の中に「秦氏」の知識は乏しく、なぜ「京都」なのかと「?マーク」が飛ぶ有様でしたが、嫁も私も、まさか「京都」に住めるとは思いも寄らず、何という巡り合わせかと喜んでいました。

ここだけ見ても、何だか作り話のようですが、実際に現実で起こった出来事なのです。

さて、入社が内定すると、何処に住むかの問題が生じます。

「京都」に住むなど、想定すらしておらず、何から何まで初めてで、会社の総務に相談します。

「鳥取」の会社への転職の際も、定住をも視野に入れた、覚悟の移動でした。

よって、多くの家財道具があり、子供も小さかったため、「京都市内の手ごろな地域」を教えてもらいます。

そして、会社が比較的近くて、家賃も手頃で、子育てにも適している場所との話を聞いたのが、京都市の西側の松尾の地域でした。

そこに的を絞り、四条通りの不動産屋に依頼して決めたのが、今の住居となります。

そして此処でも、この場所にしろと言わんばかりの、あるサインがありました。

これは「秦氏」とは、全く関係がありません。

それは、間取りや立地もさることながら、あるスピリチュアルな「数字のサイン」だったのです。

それが、「123401」です。

今はまだそこに住んでおり詳しく書けませんが、それは「苦難の人生の卒業と、新たな始まり」を彷彿とさせる、「スピリチュアルなサイン」だったのです。

そこは少々不便ですが自然が豊かで立地も良く、京都の町場に比べて、家の日当たりも景色も良好(五山の送り火も一部が見える)で、気が付けば11年もの間、暮らして居ました。

その間に私は、会社入社から転職一回を経て、定年退職後の嘱託勤務。子供は、幼稚園入園から小学校を経て、中学生の最終学年(間もなく卒業)になっていました。

そういった意味でも、私も子供も人生の転機(関東への回帰にちょうど良いタイミング)を迎えています。

さてさて、それでは、「京都」での11年の歳月で起こった、多くの「スピリチュアルな体験や開示」について、話を進めます。

楽しくて驚異的な「スピリチュアルな現実」が、明らかになります。

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