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自分には、何が出来るのか。

自分が今経験していることが、「成長」なのか「進化」なのかは一言では言い表せないのですが、ここに来て社会(会社)生活が楽しくなってきているのは確かです。

これを年齢(経験値の向上)のお陰と言うことも出来ますが、それ以上に、自分の能力が向上(拡大)している様に感じられるのも、その通りなのです。

適材適所のニッチな職業(職種)や良き同僚にも巡り合えて、更にここに住んでみたいと大昔から思っていた場所へのご縁がつながり、されども決して、自分が意図して行動した結果ではない事も事実なのです。

これが成長進化の賜物であることは、間違いないと思われます。

そして、「成長」と「進化」をあえて分けて考えるとするなら、前者が「自力」によって、後者が「他力」によって形作られると考えると、さらに納得が行くのです。

仏教の伝統を見渡しても、それぞれの宗派に「意識進化に係わるピース」が、教理として埋め込まれて見受けられます。

密教の「真言」や「観心」、禅の「ほんとうのわたし」、浄土・浄土真宗の「他力本願」など全てが「意識進化に係わるピース」を構成して見えるのです。

また、お金に関しましても、あるに越したことはありませんが、これが十分でなくとも、十分に幸せを感じている自分が居るのです。

私にとって「意識進化」とは、フワフワと空に舞う様なスピリチュアルな変容ではなくて、地に足が着いた、現実面の自身の「意識の成長」と結びついています。

こうやって、多くの隣人や神仏(多くの高次元意識存在)の後押しの「お陰様」を持って、助けられているのです。

これらは決して、「独善的な思い込み」や「抽象的な信仰」、あるいは、何かが見えたり聞こえたりする「病的な心霊体験」でもなくて、「自助努力が指し示す方向」に沿って、「風の様な力」が背中を後押ししてくる、「人格成長の過程」でもあるのです。

これらの「体験の共有」こそが、自分にできる「奇跡の可能性」への信頼感の醸成であって、「場の意識」の発現による真の「意識進化の呼び水(曹源一滴水)」になることへの、「本願(場の意識)」たるべき願望(関係の意識)そのものなのです。

その過程は、以下のブログの【覚醒ゲームの自分史】にも書きましたが、北関東の独身寮から始まった、予期せぬ「奇跡の旅」であり、自身の人生をかけた「覚醒」と呼ぶに相応しい、「成長進化」の旅でもあったと確信する所以なのです。


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