見出し画像

私が「場の意識」を信頼する理由とは。

今までは、「9次元存在」の「チャネリングメッセージ」と対比して、次々とシンクロ(意味共鳴)して来る自身の体験に付いて書きましたが、そろそろ私自身の「場の意識」の系譜について、述べてみようと思います。

私の「産土(生誕の地)」は、北九州です。

さほど遠くない位置には、古来よりこの地を統べる「宗像大社」があります。

私の祖父も曽祖父も、この地とは、何の縁もゆかりもありません(私の知る限りでは)。

あえて繋がりを探すとしたなら、私が「生を受けた場所」がココだと言うだけです。

私の父親は会社員で、仕事上の転勤で、母親共々この地へと転居して来たのです。それも、私が3歳の頃までです。

そう言った意味で、私の『「場の意識」の系譜(魂の出自)』は、ココが始まりです。

そして3歳頃には、父親が東京へ転勤となり、私も母共々「多摩川の流域」へと転居する事になりました。そして中学生の頃には、「江の島」のある神奈川県の藤沢市に転居することとなったのです。

私はそこで成人し、社会の厳しさに翻弄される中、最初の結婚に失敗し、会社の仕事にも身が入らず挫折して、自分の人生への絶望から、心が闇の中へと転落を始めます。

そして最終的に「人生の暗黒期」へと突入して行きました。

ここから先の体験は、今まで何度も書きましたので、次の転機へと進みます。

「紆余曲折」を経たあるとき、自分を変えたいとの思いも手伝って、「大海原を見たい」と思い立ちます。

そして、仕事での「孤軍奮闘」で疎遠となった知人に連絡し、「海遊びをしたい」と持ちかけます。

するとちょうどその知人が、「ドルフィンスイム」のツアーを計画中で、そこへ参加させてもらうことになります。

そして、かつて神奈川県の「秦野」のスイミングスクールで知り合った、「三人の女性」が同行することとなり、彼女達に導かれるように「御蔵島」での「ドルフィンスイム」に参加することになります。

そしてそこで、偶然ココに来ていた「現在の嫁」と出会う事となりました。

ここでの体験も何度も書きましたので、詳しく書かずに次へ進みます。

結婚後、埼玉県の児玉(本庄の近く)から、東京へと転勤となり、小平の「玉川上水」の近隣へと転居し、そこで子供が生まれます。

そんな折り、リーマンショックの影響による初めての失職を経験し、それを切っ掛けに、職を求めて「鳥取」へと転居し、更なる失職により、現在の「京都(嵯峨、松尾、太秦)」の近隣へと、転居することになりました。

これらも全てが、偶然の成り行きの中の選択で、私の意図は何一つ入りません。

現在は、琵琶湖の湖畔の「大津・膳所」近隣に職を得て、薄給ながらも、充実した毎日を送っています。

ところが、不思議なことに、これらの「住居の変遷」には、共通点が見られるのです。

それが、「秦氏」、「宗像三女神」、「市杵島姫命」へと連なる「歴史や神話」との見事なまでの「コンテレーション(星座模様)」なのです。

過去記事にもこれらを書いて来ましたので、詳細はそこに譲りますが、これらの変遷が、顕著になり始めたのは、あの「人生の暗黒期」の「心霊的な体験」が始まりなのです。

更にこれらの「人生の全体像」が、顕在意識に登り始めたのが、「人生の覚醒期」の数々の書籍や文化との出会いの体験が、切っ掛けです。

まるで予定されて居たかのような、これらの「人生の反転の変遷」には、「得も言えない神秘」が実感されるのです。

これらの気付きを「覚醒の胎動」と言わずして、何と表現すれば良いのでしょうか。

それでは、これらの「覚醒の物語」(ノンフィクションですが)を、詳細に見て行きたいと思います。

この度は、「明晰夢」や「変性意識」の体験は除外して、「現実の体験」を中心に、書きたいと思います。

-----↓
私にとって「覚醒」とは、「場の意識」の完全なる目覚めです。

それには、誰にでも必ずある「産土の地(誕生の地)」に鎮座する「意識エネルギー」が関与しているからです。

日本には古より、「産土の神」と言う「言葉」があります。

それは、「場の意識」の文化を多く保持する、日本ならではの「言葉」です。

私の「人生の反転」による変遷には、この「神のエネルギー」が関与して見えます。

それは、「5次元の意識」にとって、当然の事の様ですが、まだ初心者マークの段階ですので、解らない部分も多くあります。

さて、では私の人生に、「場の意識」がどう関与したかと言いますと、「宗像三女神」が最初に上げられます。

この北九州の「場」、つまり「産土の神」の意識エネルギーが、私の人生に深く関与して来たのです。

この「神のエネルギー」の関与は、後天的なもので、私にとっての「意識化」の始まりは、「人生の暗黒期」と一致します。

ですが、潜在的には「ご縁」としてもたらされていて、それが「産土の神」と呼ばれる「意識エネルギー」なのです。

そしてその神を信仰するある氏族が、「霊的精神性」を伴った「意味エネルギー」として、関与してきます。

そして私にとってはそれが、「秦氏の物語」なのです。

間違ってはいけないのは、「関与の仕方」です。

それは、「意味」であって、「出来事」ではないのです。

「宝くじにあたる」とか、「馬券が当たる」とかの「表層意識の願い事」つまり「出来事」への「関与」ではないのです。

もっと生命的で根源的な、「意味(物語)」としての「関与」なのです。

それは、目に映る「物質への関与」ではなく、目に映らない「意識への関与」なのです。

とは言っても人間は、「五感」を通してでしか関係性を持てない「進化の段階」ですので、「出来事」を通して、「共通の物語」と「意味共鳴」させながら、「メッセージ」を伝えて来るのです。

「霊能力」があれば、そんなまどろっこしいことをやる必要はないのかも知れません。

それでは以下に、私に関与してきた「秦氏の物語」との「意味共鳴」について書いてみたいと思います。

『私は、北九州生まれと書きました。つまりその周辺で最も歴史が長い「産土の神」が、「宗像三女神」です。

「宗像三女神」は、「秦氏」が信仰する、航海の神様です。

一説では、「秦氏」は、旧約聖書に登場する、ヘブライの「失われた十氏族」の末裔とも言われる氏族だそうです。

その女神は、「秦氏」が半島から玄界灘を通って、日本に入植する際に道を示された、貴き「道主貴」の神様です。

私にとってもそれは同じで、嫁との出会いに道を示された、貴き「三柱の女神」様であり、三人の女性の「場の意識」として、神奈川県の「秦野」の地で関与して来たのです。

過去に遡ると、私は北九州から出た後に、東京の「多摩川の流域」へと転居して居ますが、その近辺は「砧」と呼ばれ、「秦氏」が織物で殖産興業した、地域なのだそうです。

さらに中学生で転居した、神奈川県の藤沢市には「江の島神社」があり、「宗像三女神」が祭られています。

また母親の里である「広島県」には、有名な「厳島神社」があり、同じく三女神の一柱である「市杵島姫命」を祭っています。

また結婚後に最初に住んだのは、埼玉県の深谷市であり、富岡製糸場に関与した渋沢栄一翁の生まれ故郷でもあり、「秦氏」ゆかりの土地なのだそうです。

また、次に転居した東京の小平の玉川上水近隣も「秦氏」ゆかりの土地だそうです。

そして現在住んでいる「京都(嵯峨、松尾、太秦)」一帯は、「平安京」の遷都以前に「秦氏」が入植し開墾した、「聖地的な地域」だと聞きました。

さらに、京都最古級の神社である「松尾大社」には、「市杵島姫命」も祭られています。

さらに「平安京」への遷都には、経済的にも技術的にも「秦氏」が大きく係わったそうで、「平安京」の名称をヘブライ語に直訳すると「エルサレム」と言うのだそうです。

また、「祇園祭」と「シオン祭」も多くの部分で「意味共鳴」しています。

また、現在私が職を得ている、琵琶湖の湖畔の「大津・膳所」近隣も、古来より「秦氏」が入植し開墾した地域なのだそうです。

この様に「秦氏」や「宗像三女神」や「市杵島姫命」を巡る関与の連鎖が、無自覚なままに遂行されており、これら全てが、「人生の覚醒期」に、詳らかにされたのです。』
-----↑

まさに、「産土の神」の意識エネルギーと「意味共鳴」する「場の意識」は、必ず存在し、助けてくれると、信頼するしかない状況なのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?