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「9次元存在」が伝えたいこと。

「9次元存在」が伝えて来るチャネリング情報の中で、私の現実との「意味共鳴」に注力しています。

彼らはいったい何を伝えたいのか。。。

彼らが再三に渡っていうには、この世界が「二元的性質を表現した世界」だと言う処です。

これらは、「人間の思考」の中にも色濃く反映されていて、主に「関係の意識(顕在意識)」がこれを担います。

つまり、この世界に存在する「感知可能な全て」は、「二元的性質」によって表現されるからです。いわゆる、「科学的思考(二元的な思考)」により表現可能な全てが、これに当たります。

即ち、「コンピュータで表現可能な全て」、つまりは、「"0/1"で表現可能な全て」が、これに当たるのです。いわゆる、RPGゲームの「コンピュータシミュレーション」は、この原理で成り立っています。

最近は、「量子コンピュータ」の登場で、この「"0/1"の表現」も揺らぎつつありますが、最終的な現実表現の部分は変わりません。

さて、人間が「意識進化」を遂げる際に避けては通れない課題が、「自己と他者」の問題です。これも「9次元存在」が伝えて来る、「意識進化」に欠かせない大切な課題です。

これらも、この世界の「二元的性質」により大きな影響を受けています。

言葉を変えると、「物質的因果の法則(エントロピー増大の法則)」により、大きな影響を受けているのです。

これらは、「社会と呼ばれる次元」においても同様です。

「組織」は、「個人の集合体」ですが、「個別の集まり」以上の効果を発揮します。

そこには、「個人」を超えた「目的指向」と呼ばれる強制力や、「立場」と呼ばれる強制力が働いています。

これらの強制力は、「倫理」と呼ばれる「個人的規範」を簡単に吹き飛ばしてしまいます。これに抗える「個人」は、殆ど存在しないでしょう。どんなに抗おうと努力しても、非力な「個人」に残された選択肢は殆どありませんし、内部からの「組織の変革」は、その体質と相まって絶望的です。

視点を転じて組織の外側、つまり「組織どうしの次元」に着目すると、常に「対抗するもの」が立ち現れて、「他者の組織」が形作られます。これらは、閉じられた「二元的性質の世界(物質世界)」では当然のことであり、どんなに「社会的な正義」を叫んでも、「対抗するもの」が無くなることはありません。

こんな書き方をすると、「ではもう、絶望しかないのか」と悲観されるかと思いますが、そうでもなさそうなのです。

「9次元存在」が伝えて来る「自己と他者」、又は「個人と組織」の問題は、一人一人の「意識の変容(次元上昇)」により解決が可能だと伝えて来ているのです。

それが、私が過去に体験した「人生の暗黒期」から始まる「覚醒ゲームの自分史」に反映されており、「意識の変容(次元上昇)」に至るヒントが、隠されている様なのです。

内容につきましては、私の過去ブログを参照ください。
『「奇跡」の復活の時代(みずがめ座の時代へ)』
https://note.com/mr_mu/n/n9172252d7092

それはそれは、私の頭脳によるイマジネーションを超えた「喜びの場所へと誘われる体験」だったのですが、確かに「あの奇跡の体験」が現実に起こった事だと、「私の主観を超えた、客観的な事実として納得する」のなら、私にとっても素直に「9次元存在を信頼し」納得することが出来るのです。

それが「人類全体に起ころうとしている」のだと、納得することが出来るのです。

何だかまどろっこしい表現に聞こえるかも知れませんが、あえてここでこれを言葉にするのなら、『私の「場の意識」の体験を、「関係の意識」が納得出来るのか』と言う事なのです。

「場の意識」とは、「9次元存在」と「意味共鳴」する意識の半分であり、「関係の意識」とは、「他者や社会」と「人間関係」で繋がった意識の半分なのです。

こんなことを書くと、「統合失調の状況」を連想される方も多いと思いますが、喜び以外には、恐怖心も劣等感も強制力も皆無なわけで、「場の意識」と「関係の意識」を俯瞰しバランスさせる、「もう一つの意識の発現」と捉えることが出来るのです。

こういった状況が、「5次元意識」への入り口と言えるのか。。。

「9次元存在」のチャネルと「意味共鳴」する私の現実を、ワクワクしながら試運転しています。

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