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数年ぶりの「完全な龍門会」

一月の第二日曜日は、新年初の「座禅の会」と「龍門会」でした。

「ぜんざい供養」までを含めると、数年ぶりの「完全な龍門会」でした。

嵐山の「天龍寺」さんには、本当にお世話になりっぱなしです。

「天龍寺」は、京都では建仁寺と並んで『学問づら』とも言われ、実践重視の禅宗の中にあって、「公案」に代表される学問を徴用します。

この講義で使われる「夢中問答集」は、室町幕府の開祖である足利尊氏の弟で、執権も担った「足利直義」と、「天龍寺」の開山である「夢窓疎石」との間で交わされた「仏教問答集」です。

この事は、このブログでも折に触れて何度も書いて来ましたが、今年は「辰年」でもあり、一味違う様です。

「天龍寺」の天龍は、もともと黄河を遡る「鯉」の事で、源流へと滝を遡る事で、「天龍」となる伝説から来ています。

「天龍」は、仏教の守護神であり、西遊記の「孫悟空」や、マンガの「ドラゴンボール」も、この伝説の影響を受けています。

私の体験の中でも、禅の「夢中問答集」の講義と、アニメの「ドラゴンボール超」の放送が、「身勝手の極意極まる!」の物語とシンクロする形で、「般若心経」の「真言」の意味と、「孫悟空の覚醒」による「意識の進化」の意味が、「意味共鳴」していたのを、今でもよく覚えています。

「文化」と呼ばれる「奥行き」には、「高次元(人間の外面)」との「シンクロ」と共に「意味共鳴」して来る現実として感じ取れたのです。

こういった豊かな体験が、「覚醒の醍醐味」でもあるのです。

単なる「言葉遊び」と侮らない方が、人生を「不思議な偶然(他力本願な引き寄せ)」を伴って、これ以上なく、豊かにしてくれるのです。

しがない会社員である私の場合も、文化性豊かに、絶海の孤島でのツインレイの様な嫁との出会いがあり、半世紀歳の差の息子の誕生があり、京都の秦氏の聖地への誘いがあり、琵琶湖の湖畔にある適材適所のニッチな職場との巡り合わせがありました。

コロナ過にあっても、「丹後半島」で海水浴を楽しめましたし、人混みを気にする必要もありませんでした。

決して裕福ではありませんが、奇跡的で「幸福な人生」を、まるで「つなわたり」の様に、歩ませて頂いているのです。

これらの全てが、ダニエルさん経由の、∞9次元「アルクトゥルス評議会」のチャネルのメッセージとも「シンクロ」するのです。

楽しそうでしょう。

嫁は、スピ系にも係わらず「場に意識」の存在に半信半疑なので、「関係の意識」にのみ引っ張られてしまい、あまり楽しめていない様に思われます。

どうしても「個々の因果」に囚われてしまう、「思考のマトリックス(相対意識の鳥籠)」から抜けられないのです。

これらの無自覚な「意識の分離(個々の因果関係)」を統合するのも、メタ意識による「思考の力」なのです。

何でこんな思いに導かれたのかは、「人生の暗黒期」の体験の中に、そのヒントが隠されていると私は考えるのです。

と言いますのも、それ以外に思い当たる節が、まったくないからです。

偶然にしても、常軌を逸しています。

そう思いませんか。。。

今年は、天龍の様に「覚醒」する人が激増する予感に溢れています。そして、その反面、私の「人生の暗黒期」を彷彿とさせる予感にも溢れているのです。

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