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『自然界の原理にまつわる共時的な意味連関』

巷では、シンクロニシティ(共時性)とは、「意味のある偶然の一致」とされています。これは、心理学者のユングが唱えた、意識の原理です。ここでは、自然界における「意味」と呼ばれる現象が、この原理を支えています。この「意味」と呼ばれる現象は、いったい何なのでしょうか。

私たちは、この言葉を常識として、何の疑いも持たずに使っています。
一般には、「有用である」とか「役に立つ」とかいう「人間的な性質」として扱いますが、「文化的な意味」についてはこの範疇に入らないようです。よって、有象無象の出来事が「文化」と呼ばれて乱立しています。

こういった「文化」に、自然界にまで及ぶ価値や意味は、存在しない様に思われます。

ではこの「意味」とは、いったい何なのでしょうか。地球規模の自然現象に着目すると、これらの「意味」は、生命全般に存在するように思われます。生命は、自然界の中で唯一、永遠性を担保する存在です。それぞれが、お互い同士の「存在」を、支え合って存在しています。生命以外の秩序だった「形」は常に無秩序へと向います。これを文学の言葉では「諸行無常」と言いますが、物理学の言葉では「エントロピー増大の法則」と言います。ですが、「生命現象」は常に真逆を指向します。

これらの出来事を考え合わせると、「意味(意識)の本質」は、永遠性を担保する現象とも言えそうです。生命の代謝は、常に変化を繰り返しながらも、「エントロピーの増大」を散逸させながら、永遠性を担保する現象です。つまり「意味の本質」とは、千変万化の大自然の中に一貫して存在し続ける、「永遠なる存在」と言えるのかも知れません。

「文化」についても同様で、「存在」と呼ばれる現象が表現する、地球規模の「意味化の作用」と言えるのだと思います。

こういった観点で「意味」や「文化」を捉え直すと、自然界全体に、否、宇宙全体に繰り広げられる、こう言った「存在の作用(高次元の投影作用)」が、見えて来るのです。

これらの作用は、決して情報によるものではない自然界の現象であり「時間による制限」さえも超えていく、因果関係(関係の意識)を超えた現象であると考えられるのです。

生命自体が、「奇跡の現象」と呼ばれるのも、こう言ったところに理由があるのだと思います。

つまりこれらの共鳴感覚は、『内外のあらゆる障害を回避できるだけではなく、各人に必要な叡智は際限なく自らの力のみで取得できる肉体的なセンサー感覚』であり、まさに「場の意識の確立」が実現を目指す共鳴感覚なのです。

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