見出し画像

得意なものが好きなものとは限らない

僕は昔から絵が得意だった。

小さい頃、家で暇な時、落書き帳に色々な物を模写していた。

例えばガンダムだったりウルトラマンだったりキン肉マン、図鑑で見たビルや船、車、電車、飛行機など子供心に興味を持ったものなら何でもである。

それは誰かに見せびらかして自慢したかった訳ではなく、純粋に好きでやっていた。

そして、小学校高学年の時に学校で北海道が主催する「海の子作品展」に生徒が水彩絵の具で描いた作品を出展することになり、僕は船の絵を模写して描いたら金賞を取った。

しかし、中学に入ってからはまったく絵を描かなくなった。

はっきり言って興味が無くなってしまったのである。

しかし、美術の科目は得意だった。

高校1年の時に文化祭があって、仮装大会をやるという事になり、僕は美術が得意だったのでそれで使う山車のデザインや実際に作る時の作業を任せられた。

僕らのクラスは「シンデレラ」の仮装をやるという事になったので、山車はかぼちゃの馬車という事に決まり、僕はそのデザインの原型となる絵を描いた。

しかし、その頃は芸術という意味では音楽に興味を持っていて、絵には興味がなかった。

多分、幼い頃の絵に対する興味をずっと失わないでいたらもっと才能を伸ばせたかもしれない。

27の時に入院した時、病院で開かれる催し物があって、塗り絵の絵本に載っている様々なイラストを絵の形通りに切り取って休憩室に紐で吊るすという催しがあった。

僕の絵は看護師の人もびっくりするぐらいで褒められた。

つまり僕のその才能は、その時まだ失われていなかったのだ。

しかし、僕にとっては何の苦労もせず普通に出来る事なので褒められてもそんなに嬉しくなかった。

僕の得意なのは飽くまで模写する事で、自分で何かを創造するという事は得意ではなかった。

だから、プロの漫画家が描いた絵なんか見ると、「よくこんなに上手く描けるなぁ」と感心してしまう。

幼い頃は純粋に好きでやっていたが、小学校のコンクールも高校の文化祭も病院の催し物も、自発的にやった訳ではなく義務感でやった事である。

その自分の特技は今もそれほど変わっていないと思う。

しかし、それを今やったからといって役には立たない。

やろうと思えばやれるが、進んでやる気にはならない。

そういう訳で得意なものが好きなものとは限らないし、その得意なものが生きていく上で役に立たないものであればあまり意味がないのだと思う。

逆に自分が得意なものが好きなものではなくても、生きていく上で役に立つのであれば積極的に利用しても良いのではないかとも思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?