直立二足歩行
不妊治療をやっていた次女に昨年秋、待望の女児が生まれた。私にとっては初孫になる。どちらから言うわけでもないのだが、いつの間にか月に1回くらいの頻度で私の家に孫を見せに来るようになった。今年1月から一線を退いて週の半分は自宅にいることになった私は、孫と過ごす時間が多くなった。
30数年前に自分の子供(孫の母)が生まれた時期は仕事が忙しすぎて、子供たちがどんな風に過ごしていたのか、どのようにして成長していったのか余り記憶に残っていないというのが正直なところである。平日の帰宅時間はいつも23時頃で、食卓で遅い夕食を食べる時には、すでに子供たちは隣の部屋でスースーと寝息を立てていた。朝は朝で、出勤前の慌ただしい時間の中で子供たちにはおはようと声を掛けるだけで精一杯であった。休日もしばしば出勤していたから、じっくりと子供たちと関わる時間は極めて限られていた。妻に「うちは母子家庭だから」と揶揄されても返す言葉もなかった。
孫の育つ姿は私にとっては一つ一つ初めての経験のようなもので、新鮮な驚きで一杯であった。会うのが1ヶ月ごとのため、一緒に住んでいたら気がつきにくい変化もくっきりとした違いを目の当たりにすることが多い。1ヶ月前にはできなかったことが今回はできるようになっているというように。
生後9ヶ月の現在の課題は直立二足歩行である。3ヶ月前に来た時は、それまで仰向けに寝ているだけだったのが、両腕を器用に“てこ”のように使って自分でごろんと寝返りを打てるようになっていた。2ヶ月前は寝返りを打ってうつ伏せになった後、前に差し出した自分の腕を力強く交互に体に引きつけて匍匐前進をするようになった。先月はつかまり立ちができるようになった。イスのヘリに手を掛け、スクワットばりに立ち上がれるようになったのには驚かされた。先月は立ち上がった体を何かにつかまった両手で支えていたが、今月はその手を離してぐらぐらしながらも倒れずに、何とか二本足で直立できるようになっていた。
人類学によると人類を類人猿と区分けする重要な違いは、直立二足歩行ができるかどうかということになっている。人類が直立二足歩行をするようになった理由は諸説あるらしいが、はっきりとしていることは、今から700万年前と言われている、まっすぐ立って両足で歩くという本能が、彼女の中にも連綿として認められるということである。誰に教わるわけでもなく、寝返りし、はいはいし、つかまって立ち上がる一連の発達は、生命の中に内在する本能の力のなせる技なのであろう。その本能に命じられて日々、立ち上がる訓練を繰り返している。味気ない科学的な説明では言い表せないような、まぶしいばかりの力強さに溢れている。
スクワットの姿勢からぐらつきながらも膝を伸ばして立ち上がろうとしている、たかだか生まれてまだ9ヶ月の孫。満面の笑みを浮かべている表情を見ると、その動きが楽しくて仕方がないのであろう。ベビーベッドの上でうごめくただの赤子であった存在が、1年に満たない間につかまり立ちができるようになり、手を離してどちらかの足を一歩前に踏み出せば、直立二足歩行・・・人類の仲間入りである。
もうちょっとだ、がんばれ!
そう孫に声をかけながら、イスから立ち上がるだけでも知らず知らずのうちによっこいしょと掛け声を発している自分に気がついて思わず苦笑した。
(2022年8月6日 記)