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ほうれん草の根っ子

 ほうれん草の根っ子を見ると学生時代に通っていた食堂をいつも思い出す。葉と根の間の淡いピンク色が記憶の扉をそっと開けてくれる。

 大学進学を機に自宅を離れて見知らぬ町に一人で住むことになった学生は、衣食住の困難に初めて直面することになる。とりわけ食は死活問題である。安い・おいしい・ボリュームがあるという三拍子揃った食堂を住居近くに見つけられれば運がよい。

 40年近く前の話になる。私が医学生だった当時、医学部の前には食堂が二軒並んであった。一つはチェーン店の半田屋食堂、もう一つは山田屋という夫婦で営んでいる食堂である。安くてボリュームがあるという点では半田屋も山田屋も遜色なかった。半田屋では、おかずはあらかじめ作ったものを棚に並べ、それを自分で取って食べる形式なのでご飯と味噌汁以外は料理が冷たくなっていた。山田屋では、おかずは作りたてなので温かいものを食べられるという点で分があった。夫婦で切り盛りしている山田屋は、通い詰めれば自然と顔なじみとなり、のれんをくぐると「おかえり」と言われる関係になる。一方、チェーン店の半田屋は働いている人は店員だから、必要以上の関わりを持ってくることはない。おかずは冷たくても、煩わしい人間関係は敬遠したいという人は半田屋を選んでいた。実家から遠く離れて一人暮らしをすることになった私は、温かいおかずと家庭的な雰囲気が心地よく、いつの間にか山田屋に足繁く通うようになった。昼食か夕食のどちらか、日によっては両方、つまり1日2食を食べるようなこともあったから、山田屋の料理で栄養の大半を賄っていたことになる。

 混雑する昼食の時間帯が過ぎ、かといって夕食にはまだ早いある日の午後、いつものようにのれんをくぐった。店内には誰もおらず、カウンターに座って定食を注文した。山田屋定食は大盛り並にボリュームのあるどんぶり飯に味噌汁、漬物、魚料理と小鉢がもう一品ついて290円。ラーメン1杯が300円以上していた時代だったから、格安の値段であった。おかずは日替わりで、貧乏学生には人気のメニューであった。その日も昼食を食べ損ねて空っぽになった胃にどんぶり飯をかっこんでいると、ご主人が「これ食べてみて」とカウンター越しにもう一つ小鉢を出してくれた。ほうれん草の根っ子が山盛りに入っていた。葉の根元の白い部分と根の間の淡いピンク色をしている部分である。

「ここは普通は捨ててしまうんだが、栄養はたっぷりなんだ。お金要らないから食べてみて」

醤油をかけて頬張るとシャキッとした食感とともに口の中にほのかな甘みが広がった。

「おいしいです!」

「そうかい、よかった」

 ご主人は夕食の仕込みの手を止めてニコッと笑い返してくれた。それ以来、遅い昼食を食べに行くと、しばしばほうれん草の根っ子の小鉢を黙って出してくれるようになった。一人暮らしにはその心遣いがやけにうれしかった。

 先週、妻が股関節の手術で10日間入院することになり、久しぶりに一人暮らしとなった。その間、食事は自分で作らざるを得なくなった。スーパーに食材を買いに行くと、野菜売り場に青々としたほうれん草が並んでいた。ふと山田屋のことを思い出し、二束ほど買い求めた。夜、一人で台所に立ちながら、一束をよく洗い茹であげて、まな板でピンク色の部分を切り落とした。切り落とした根っ子を集めて小鉢に入れ、鰹節をかけ、醤油をたらして口にほおばってみた。40年前に山田屋で食べた根っ子と同じほのかな甘みが口の中に広がった。付き合い始めて間もない、当時、看護学生だった今の妻を連れて初めて店に食べに行った時のことを思い出した。女将さんは「彼女かい、よく来てくれたね」と大喜びで迎えてくれた。

 ご主人や女将さんは、まだ生きているだろうか。妻が退院してきたら、ほうれん草の根っ子をつまみにして退院祝いをやろう。山田屋の思い出を語ろう。そう思って、もう一束のほうれん草は冷蔵庫に大事にしまった。(2023年1月15日 記)




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