判定負け

一昨日、久しぶりに母と電話をした。
正月には実家に帰っていたから、母の声を聞くのは約2週間ぶりでしかないというのに「久しぶり」と感じてしまった僕は、やっぱりマザコン野郎なのだろうか。

ただ、実際に「久しぶり」と感じてしまうほど、この2週間は濃かった。同世代の色んな人と話し、色んな人生を聞いた。すっかり感化され思いが募り募った僕は、母に電話した。僕が変えたくて変えたくてしょうがなかったことを訴えるために、彼女に直談判したのだ。

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改革派:俺 VS 保守派:母

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あっという間に1時間くらい経ったのだろうか。闘いの内容については公表できないけれど、母と腹を割って話したのは久しぶりだった気がする。これは、気分ではなく本当に久しぶり。

結果は、改革派の敗北。保守派の思慮深さと日々の頑張り量は、僕の想像の域を超えていた。でも決闘の中で、勝敗なんかよりずっと価値のあるものが2つ生まれた。

その1、僕は腹を割った。母は腹を割り返した。
僕は自分の思いをストレートに伝えた。母の考えを、「古い」とも「おかしい」とも言った。僕はこうしたいんだ、そう伝えた。突然の電話で、突如火蓋が切って落とされたにも関わらず、母はしっかり時間を取り、応戦した。(ちゃんと応戦できる当たり、さすが我が母と言わざるを得ない。)
闘いは何というか、KOではなく僕の判定負けだったけれど、あんな風に母とパンチを打ち合ったのは久しぶりだった。

その2、僕は「いつもありがとう」と伝えた。
これはあれだ、試合後のインタビューで、相手選手にリスペクトを表する時のあれに近い。闘いの後、母はラインで「いつも感謝してる」的なことを僕に伝えた。僕はそれに対し「いつもありがとう」と答えた。単純だけど、最も伝えるのが困難な言葉。これを送ったのも、本当に久しぶりだった。

結果、当初の目的は達成されなかったけれど、僕は妙に清々しい気持ちで眠りについた。


今回の闘いの背景として、一人暮らしを始めたことは大きな要因だったと思う。
「家族と物理的な距離を置くことと、精神的な距離を置くことは関係ないんじゃないかな」
そう言われたこともあるが、僕の場合は大いに関係があった。

毎晩母の横に並び食事の手伝いをすることが、人生の日課であり財産でもあった僕にとって、たとえ近くであっても家を離れ、母の顔を毎日見なくなったのは大きい。自分の生活スタイルを自分で設計する必要があるし、毎日考えることも変わってくる。その延長で、今回の話に発展した。

これから意識していきたいのは、親離れと親孝行を対立させないこと。そう思ったのは、僕なんかよりどう考えても忙しく、どう見ても自分の人生を謳歌している人に、こう言われたから。

「おれどんなに仕事が忙しくても、月に1回は必ず家族揃ってご飯行けるように、自分で日にちセッティングしてお金も出してるんだよね。」

親がいたからって、自分の人生は築ける。
親離れしたからって、親孝行はできる。

以前の僕は、親離れし自分の人生を歩みだしたら、自分の人生の支柱が失われてしまうのではないか、そう考えていた。しかし、それは間違いだった。自分の人生と親の存在は分離できるし、分離しても独り立ちと親孝行を見事に両立させている人もいる。要は、どう考えるかだ。

そうだ、秘密を作ったらどうだろう。自分しか知らない秘密で、自分の人生を彩る。例えば、僕がこんな風に自分の考えをネットに載っけていることを、母は知らない。

うん、これも、自分の人生作りのように感じる。