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めっきらもっきらどおんどん

大人になってから出会った絵本がいくつかある。
今日はその中の一冊の話をする。


ありがたいことに近所の図書館は、こどもの本だけを取り扱ったコーナーが別フロアに設けられていて、そのフロアには絵本、紙芝居、図鑑、学習図書などがズラリと並んでいる。

私はあの場所が大好きだ。
まだ一人では歩けないほど小さい子も、小学生のお兄ちゃんお姉ちゃんも、こどものお母さんもお父さんも、時たま若いあんちゃんねえちゃんもいる。
みんな真剣に本を選んでいる。小さな子だって勿論好みがしっかり確立していて「これ!」とか「ない〜」なんて言いながら本棚の前でじっくり背表紙を眺めている。
老若男女の垣根を越えて、みんなが本を選んでいるあの空間が、なんだか優しくて、無条件に許されている感じがしてとにかく好きだ。


めっきらもっきらどおんどん
長谷川摂子:作 ふりやなな:画

さて、本題。
家族が借りてきてくれたからこの本と出会えた。
選んできた本人と一緒に読んだ時、ドキドキとワクワクで胸がいっぱいになって、なんて面白くて、なんて魅力的なキャラクター達だろう!とビックリした。

ストーリーは、主人公の「かんた」が唱えためちゃくちゃなうたをきっかけに、ちょっとおかしくてかわいい三人のばけものと出会い、その三人とかんたが遊んであげるというもの。

とにかく、も〜〜〜とにかく三人のばけものがかわいい!愛らしい!
こどもとばけものが大人の知らないところで出会って遊ぶ、というお話はそんなに珍しくないけど、この三人とかんたの関係って「かんたが遊んでやる」「三人が遊んでもらう」なんですよ。
かんたが「ばけものなんかとあそぶかい!」って言うと、三人は大声でおいおい泣くし、かんたが「うるさい!遊んでやるからだまれ!」と言うと、今度は誰が最初に遊んでもらうかで喧嘩を始めてしまう。

かんたは多分小学生だと思うんだけど、ばけもの三人組はきっと心が4〜6歳なんだよね。だから必然的にかんたは「みんなのお兄ちゃん」になる。「遊んであげる」のポジションになる。
この関係性が、本当にメチャクチャ愛しいわけです。本当に本当にかわいい。愛くるしい。

「得体の知れないばけものが、迷い込んできたこどもと遊んであげる」ではないところが本当に好き。あくまで遊んでほしいのはばけもの側であって、かんたはだからこそ、寂しさを感じたりする暇もない。いいなぁいいなぁ私もこんな体験したいなぁ!と心から思ってしまう。
この絵本のワクワクの秘密は、ここにあるんじゃないかなって思います。

で、三人のばけもの達がね、これがまた本っ当にも〜〜メチャクチャ可愛いんだ!
ちっちゃい子猿みたいな「しっかかもっかか」、
のっぽな白い狐面の「もんもんびゃっこ」、
七福神みたいなおじいちゃん「おたからまんちん」。
もう名前がかわいい。チャーミング。かわいいっ。
ちなみに私はもんもんびゃっこが好きで好きで堪らないです。かっこいい…好きだ…。
余談でした失礼。

三人は自分の得意なあそびでかんたと(ジャンケンで決めた順番で)遊びます。
お兄ちゃん役だったはずのかんたは、ここで、自分では見ることのできない世界を三人に見せてもらう。
自分より幼い子が自分より大きな世界を知っていて、それを無邪気に見せてくれる瞬間って、実際に生きてても沢山ありますよね。
とっても素敵で、とっても無限大で、とっても楽しい瞬間だ。

かんた達の楽しいひと時は、かんたの「お母さん」の一言で終わってしまうんだけど、終わってしまった後もまた、かわいくて切なくて、いい。
最後まで素敵なんだ、この絵本は。

かんたは、また三人に会いたくて、出会ったあの場所に行く。
だけどかんたは思い出せないんだ。自分がうたった、あの「めちゃくちゃなうた」を。

この終わり方にはすごく夢がある。
だってあのうたさえ思い出せれば、また三人に会えるかもしれない。そんな希望でキラキラしてる。

三人のことをすっかり忘れてしまった訳じゃない。遊んだ時のことをちゃんと覚えてる。また会いたいって、思ってる。
もしかしたら三人も思ってるかもしれない。かんたー、かんたー、一緒に遊びたいよーって、ずっとかんたのことを待ってるかもしれない。
その「かもしれない」を、一個も取り上げないでいてくれる。
優しくて、やっぱりワクワクする。ワクワクしながら「かもしれない」を想像して、胸が膨らむんだ。

私は躍起になって、かんたのめちゃくちゃなうたを何度も声に出してうたって、繰り返して、そして遂には暗記した。
だって寂しい時、ひとりぼっちの時、このうたを大声でうたってやったら、私も三人に会えるかもしれないから。


大人でも会えるだろうか。
…うん。会えるかもしれない。



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