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過去の栄光にすがってしまいます

【相談】会社員男性東京都内在住

こんにちは。初老の男の相談を聞いてください。
私の自慢は小学校時代に少年野球で全国大会に出たことです。「それだけ?」と思われるかもしれませんが、私にとってはそれくらい大きな経験であり、それが私の人生のすべてなのです。

厳しい練習環境でした。朝、放課後と休みなく練習をしてみんなで切磋琢磨をしていました。その結果、県大会で優勝して全国大会に出ることができました。町を挙げてのパレードが開催されて、親からもチヤホヤされました。

でも、中学校にあがってからは体の成長も止まり、仲間たちともバラバラになってしまいました。特にレギュラーの半分がほかの部活を始めてしまい、私たちは中学校では勝つことができませんでした。
私は高校の途中で野球を辞めて、大学に進みましたが中退、いまは職を転々としています。

私にとっては小学校時代の栄光がすべてなんです。いまでもそのころの夢を見ます。あの頃に戻りたい、もう一度人生を全国大会出場が決まった瞬間からやり直したいと思っています。

別に死にたいと思っているわけではありません。でも、何かやる気になるようなアドバイスを頂けたら嬉しいです。

【ななにいにメンタル兄貴の回答】

過去の栄光にすがりたい気持ちはすごくわかります。特に足元の人生がうまくいっていないときなどは、「あのときは・・・」と回顧することは正直私も結構あります。人生の半分は私自身もそうかもしれません。

質問者さんも気づいていると思いますが、過去の栄光にすがっていては成長ができません。だからあなたは自分の殻を破ってここに相談に来たわけですよね。それは素晴らしいことです。

処方箋としては、過去の栄光を拭い去るには、主観的な過去の栄光の価値を下げてしまうか、過去の栄光を更新する実績を上げるしかありません。
そもそも過去の栄光とはそこまですばらしいことなのでしょうか。物事は主観で認識されます。
私も少年野球をやっていたので全国大会出場がどれだけすごくて、血のにじむ努力が必要なのか分かります。ただ、それは客観的事実ではなく、あなたと私の主観なのです。たとえば、プロ野球に進む選手たちにとっては全国大会なんて所詮入口のようなもので、出場するだけならたいしたことはありません。社会に出てから、野球以外の場面でそのことを誇ってもすごいとは思われません(すごいねとは言われるかもしれないけど)。

ですので、あなたの人生にとって全国大会出場ということは大きな価値を持っているかもしれませんし、自信にするのは構いませんが、誰かと仕事したり、交友する段階において、過去の栄光は捨てて考えたほうがいいのです。それによって意図的に過去の栄光の価値を下げてしまいます。

逆にあなたが過去の仕事でうまくいかなかった点なども、それも客観的に見れば一度大学進学したのはすごい、そもそも職を転々としたということは何度も就職面接を受けたんだすごいという話にもなるので、悪い栄光も自分の戒めのために内内に思うものはいいものの、他社との関係においてはフラットに考えます。

過去の栄光を超える実績を出して、生きていくのもありですがそれは結構しんどいです。理由は二つで、あなたの主観的な栄光という過去は美化されます。いいところだけが都合よくクローズアップされた編纂されたあなたの過去になっています。それを超えるとなると、どの程度のレベルで超えればいいのでしょうか。わかりませんが、同じ少年野球をしてきた人間としては、全国一万人の会社組織で通年の営業成績で全国一位を取るくらいの実績を上げてやっと追いつくかなといったところです。それくらい、栄光の価値というものは主観的なものなのです。
もう一つが、仮にそのように過去の栄光を超えた実績を上げたとすると、それが過去の栄光として更新されます。30歳で更新したとすると、その後の人生ではその栄光を超えるために戦い続けることになります。主観的にその実績を超えることができなければ「あの時のわしはすごかった」と過去の栄光を語り続ける老害になってしまうでしょう。

あなたはいまのあなたの人生を生きています。いまの人生を今の時間軸であなたの主観で生きています。
誰かの人生でもなく、過去のあなたでもなく、いまのあなたがいまのあなたの人生を生きているのです。
一瞬一瞬あなたは死んで生まれ変わっているのです。過去は全く関係ないです。

他人がどう思うのかも気にしないでください。他人にいろいろいわれるでしょうが、それは過去の他人が経験した他人の主観でいろいろ批判をするわけです。そもそも物事の考え方、価値観はその人によって違いますし、なにを言われようが気にする必要はありません。

自分勝手に生きていいのかということですがそれは極論です、法令ルールは守らないといけないと思います。ごみをポイ捨てするのはどうなのかという議論ですが、私は別にしてもいいと思います。なぜなら、今の私はそれを善と考えていた場合、そうするしかないと思いませんか。一瞬一瞬自分を更新する中で、ごみを捨てるよりごみを拾うことの方が自分にとって幸せだと思えるようになればいいのです。もちろんごみを捨てるよりごみを拾った方が幸せだということは私の主観ですからね。客観的な事実ではありません。

あなたは他人との比較、過去の自分との比較、しいて言えば未来の理想像との比較もやめて、今の自分を一生懸命に生きたらどうでしょうか。それが部屋に閉じこもって寝てることだと思ったらそうすればいいですし、一生懸命に働くことだと思ったらそうすればいいです。
でも、その時のあなたは過去全国大会に出たあなたでもなく、過去大学を中退して定職になかなかつけないあなたではなく、いまのあなたが今のあなたの価値を判断するんです。

アドバイスとしては、今の自分より、一瞬後の自分の方が成長しているように努めたほうがいいです。死んで生まれ変わるというよりは、OSのアップデートだったり、脱皮のイメージの方が強いかもしれません。

応援しています。

ご相談、ご質問はななにいにtwitterまでお願いします。


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