見出し画像

僕に勇気を与える「オシャレを超えたファッション」

総合格闘技の世界に、コナー・マクレガーというスーパースターがいる。

つい先日、KO負けを喫してしまったのだが、構えが最近、前傾気味なのでカーフキックを受けやすいのと、パンチを誘っていたら、誘ったパンチを食らってしまうという反応速度のところだと思う・・・、いや、今回はそんな話をしたいのではなかった。

ある時、彼の紹介文を読んでいたら、

彼はそのオシャレを超えたファッションでも有名だ。

という一文があった。

「えっ、どういうこと?」と僕は読んだ瞬間に混乱に陥った。

オシャレを超えたファッションとはなにか?

そもそも、「オシャレを超えたファッション」とは何だろうか?

いや、なにごとだろうか。

マクレガーにしたら、きっと「オシャレだと思って」着ているに違いない。

だいたい、ファッションというものは、オシャレか、そうでないか、の範疇に入るものではないのか?

それを「超える」ことなどできるのだろうか。

それを他人が紹介文で、「オシャレを超えたファッション」と勝手に認定し、さらに、「有名だ」とそれが周知されているという追い打ちをかけている。

まあ、これはだ。

「自分ではとうてい理解できないファッションを着ている」
「同じように理解できない人が周りにいたか、メディアにいた」

ということだろう。

それだけだ。

だが、僕にとって、この「オシャレを超えたファッション」というフレーズが存在したことは、大きな衝撃だった。

そもそも売ってなければ買えないし、作らなければ売れない

僕はマクレガーが自身で洋服をデザインしたという話は知らないけれど、マクレガーが買い物をしているのを見たことはある。

ならば、買っているとしよう。

買っているのであれば、「これ、売れるだろう」「これはめちゃくちゃいい!」と売っているお店は思っているはずだ。
仕入れたのだから。

そして、お店としても、「存在しないものは売れない」のだから、誰かが「このデザイン、めちゃくちゃ、かっこいいんじゃない?」と、わざわざ実物を作ろうと思ったほど感じたことになる。

この関連する人々の中で、「買う人」が一番、熱量が少なくて済む。

作る人、売る人は、リスクを負っているし、労力も必要だ。
それをするほど、「これはいい」と思っているということになる。

つまり、少なくとも、マクレガー以外でも、何人かは、それがいいと思ったわけだ。

マクレガーは一人ではなかったわけである。

果たして、そんな個性的なものをいいと思ったデザイナーとお店、そして、マクレガーに対し、一般人が「ファッションがおかしい」とケチをつけられるのかな?

どちらが正しいのかな?

ベーシックなものや、あんまり個性的でないものから飛び出せない人が、飛び出した人を揶揄できるのかな?

まあ、とにかく、僕たちを振り返ってみれば、ほとんどの場合、「売っている服を買う」だろう。

ならば、その服を着ている僕には、どんなに奇抜なものでも、少なくとも、何人かは味方がいることになる。

だけど、ダサいファッションはある

なのに、「あきらかにダサいファッション」というものはある。

体型か、自分の個性を知らないからか、組み合わせが悪いのか、数年前に買ったものをずっと着続けることから起こるのかもしれない。

残念ながら、僕はファッションに疎い。
着れれば何でもいいというタイプだ。

だから、「なぜ、ダサいファッションが存在するか?」については分からない。

そんな僕にとって、そして、おっさんになった僕にとって、怖いのは、

「あのおっさん、ダッセー」

という言葉である。

ダサいおじさんを救う唯一の拠り所

僕はおっさんだ。

もう感性がおっさんなのだから、どんなに頑張っても無駄だ。
きっと何をしても、「ダサい」ことになると思うし、それでもがけばもがくほど、ダサくなるだろう。

もう、おっさんはおっさんとして、好きな服を着ていくしかない。

というより、もう何年も服を買っていないから、ファッションはもういいのだ。

だが、「本当にダサいよな」とは言われたくはない・・・ような気がする。

あきらめるのも、どうだろう。
「ファッショナブル」と言われたくはないが、ダサいとは言われたくない。

そんな一人のおっさんを救ったのが、この「オシャレを超えたファッション」という言葉である。

ファッションというのは、「おしゃれなやつ」と「ダサいやつ」の間にあるのではなかったのだ。

なんと、オシャレは超えていけるのである。

だから、超えていけばいいのだ。

「この服、おかしくないかな?」
「ちょっと個性的すぎないなな?」

そんなときは思い出そう。

オシャレかどうか、ダサくないだろうか?
そんなことはもう関係ない。
僕のは、オシャレを超えたファッションなのだから。

オシャレか、どうかなんて、もう超えてしまった概念なのだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?