7,何かあったらお知らせします:クワガタから学ぶ人生
前回までで、僕の「森の上の方」の環境には「ノコギリ クワお」「コクワ コクワお」が「カラフルゼリー」を食べて、2匹で暮らしている。
思い出すと不思議なことがある
とうとう、僕のクワガタ達も2匹になってしまった。
よく考えてみれば、5匹だったのだから、3匹しか減っていないのだが、どうもそれ以上に寂しく感じる。
だが、3匹の死を思い返して見ると、不思議なことがある。
どうして、クワガタは死ぬとひっくり返るのだろうか?
なぜ、わざわざ、ひっくり返るのか?
今まで3匹のクワガタを看取ってきた。
いや、幼少時から考えれば、何十匹だろう。
その何十匹は、思えば、死ぬ時、常に裏返っていた。
いや、幼少期はよく覚えていない。
ちょっと嘘をついてしまったかもしれない。子供のころの記憶なんていい加減なものだ。
しかし、今回の3匹は確かにみんなひっくり返っていた。
これは不思議である。
死ぬ数日前から、時々、裏側になり始める。
どんなに元に戻してあげても、裏側になる。
そうして、裏側のまま、息を引き取るのだ。
いや、ちょっと待ってほしい。
例えば、「ひっくり返ってから、起きる」という動作が日常的に組み込まれているなら別である。
人間のように、夜寝て、朝起きる・・・のであれば、「起きてこない」「寝たまま」というのは分かる。
だが、彼らは通常、ずっと伏せているではないか。
ひっくり返っている時など、日常にはほぼ無い。
まあ、例えば、木からの着地に失敗して裏返ってしまう・・・ということはある。
だが、日常の9割以上、ずっと足を下にして暮らしているではないか。
そして、「うっかり裏側になってしまった・・・」という場面も少ない。
日に1度あるかないかである。
ということは、「ああ、もう死ぬ・・・」という時に、「よーし、じゃあ、死ぬから、ひっくり返るぞっ」とひっくり返るわけだ。
その体力はあるのか。残しているのか?
なぜ、死ぬときだけひっくり返るのか?
ああ、木から落ちるからか・・・と一瞬、納得しかけたものの、時々、木の上でひっくり返って、死んでいるヤツもいる。
ひっくり返った方が安定する、つまり、自然なのか?とも思うが、平べったい躯体なのだから、表も裏も一緒だろう。
うーん、分からぬ。
もしかしたら、死ぬ前はエサがないときと同じく、高いところに登りたいのかもしれない。それで途中で力尽きるのかもしれない。
そういえば・・・、他の虫もそうではないか。
セミも、セミ爆弾の時はあるとはいえ、死ぬ時はひっくり返っていることが多い。
これは、それが正しいのか?
「死んだら、分かるように、ひっくり返る」というのが、宇宙の掟か何かなのだろうか?
いや、何のために。
死を知らせることに、何か意味があるのか?
残念ながら、人間は難しい。
左右前後上下、いろいろなポジションを取るから、「ああ、あれは死んだな」と分かるには、シチュエーションも合わせて考えなければいけない。
つまり、「道路の真ん中でひっくり返る」とか、シチュエーション+姿勢が大事だ。
死ぬ間際に、こんなことを考えなくてはいけないのは、少し大変なような気がする。
いや、犬猫はどうだっただろう?
セミなど、路上で、やたら死んでいるが、それらの虫と違い、犬や猫の死んだシーンなど、そうそうお目にかからない。
だから、よく分からない。
人間にしろ、そういう宇宙の掟に従うポジションがあったなら、いくつかの悲劇は防げただろうに・・・。
まあ、とにかく、死んだら、虫はひっくり返るのだ。
「何か起きたら、ひっくり返るから」
「死んだら、ひっくり返るから、すぐに分かるよ」
そんなことを言っている気がする。
そう、2匹しかいなくなった虫かごを、僕が鑑賞する目的は、「今日もひっくり返っていないかな?」ということに絞られてきた。
クワガタとG
クワおが旅立つ時は、どんなにか悲しいだろう。
正直、最初のビバ子は悲しかった。
そして、ビバおの死にも大きな衝撃を受けた。
だから、すべてのはじまりの「クワお」が死んだら、どんなに悲しいのか?と恐怖すら感じた。
ずっとそう思っていた。
だが、まあ、なかなか死なない。
そのうちに、どうでも良くなってきた。
「いったい、いつまで生きるつもりか」という感じになってきた。
よく考えてみれば、僕は、クワガタ達の人間?関係を鑑賞していたのかもしれない。
それがなくなった今、クワガタ達はただの虫に過ぎない。
ただの虫。
そう。よく見れば、Gに似ているではないか。
なぜ、Gは忌み嫌われるのに、クワガタは「カッコいい!」と飼われるのか?
うーむ、クワのある無しではないか。
あとはほとんどGと変わらない。
いやあ、気持ち悪い。
「クワお」の旅立ち
「旅行に行く」となれば、「この間に死なないだろうか?」と不安になりながら、家を空ける・・・、そんなことを繰り返し、夏が過ぎ、秋が来て、冬に入っても、なかなか死なない。
クワおも、コクワおも、元気に生きていた。
「これは死なないのかもしれない」とまで思い始めた。
だが、12月のある日、それは突然来た。
僕が人間ドックの日の朝だったが、起きてみると、クワおがひっくり返っているではないか。
クワおは、旅立っていた。
考えてみれば、クワおは、僕の節目の日に出会った。
今度は人間ドックの朝という日に死んだ。
あれっ、これ、ものすごく縁起が悪くないか?
何か病気が見つかるかもしれない・・・、そんな不安が僕をよぎった。
よりによって、こんな日に死ななくてもいいじゃないか。
寂しさを不安で蹴飛ばして・・・
「クワおめ、ふざけやがって」
そんなことを思いながら、僕は人間ドックを駆け抜けた。
特に何も見つからなかった。
胸をなでおろしながら、ハッと気づいた。
そうか、クワお。
僕が寂しさを感じないように、この日の朝に死んだのか・・・。
確かに僕は不安の方が大きく、クワおを恨みこそすれ、寂しさは感じなかった。
いや、もしかして、僕の身代わりになってくれたのか?
くっ、身代わり地蔵ならぬ、身代わりクワガタか。
その小さい体では、人間の病気ひとつ受け止めきれないだろう。
クワお・・・。
何ということか。
散々、僕のことを無視しておきながら、最後の最後で僕を守ってくれたというのか。
まあ、そんなはずはない。
よく考えてみれば、すべて僕の妄想ではないか。
真実は「虫が一匹死んだ」という、それ一つだけだ。
ほぅ、なるほど、それか。
クワおは、そこまで考えていたか。
ひっくり返った「クワお」は、「ほら、お前はすぐに考えすぎるんだから。」と笑っていた。
クワお。
最後の最後までやりやがる・・・。
(続く)
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