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8,最後に勝利する者:クワガタから学ぶ人生

前回までで、僕の「森の上の方」の環境には「コクワ コクワお」だけが「カラフルゼリー」を食べて暮らしている。

野生育ちの二匹

思えば、残ったのは野生育ちの二匹であった。

「コクワお」と「クワお」はどちらも公園に落ちていたクワガタである。
木にいるわけでもなく、ただ地面に落ちているという、間抜けなヤツラではあるが、自然育ちの間抜けの方が、ホームセンターの温室育ちよりも、生き抜く力は強かった・・・ということか。

うむ。

そんな2匹のうち、「クワお」が旅立ち、ついに、僕の虫かごの中は、「コクワ コクワお」の1匹だけとなった。

「ふーん、こいつが最後に残るとは・・・」
そんなことを思った瞬間、僕は気づいてしまった。

コクワおの深遠な戦略に。

最後まで勝ち残るのは・・・

思い出してみると、コクワおは常に隠れていた。

ビバお、クワお、そんな歴代の王の時代も、逆らわず、屈し続け、隠れ続け、やり過ごした。

時には、ノコギリクワガタの「メス」たちと行動を共にするという、屈辱的な戦術を取るなど、なりふり構わず、逃げ続けた。

一週間に一度ほどの虫かご清掃のときも、嫌がるよりも、むしろ、僕に持ちやすい体型を取るなど、ひたすら膝を屈して、従順さを演じ続けていた。

そんな彼が、気づいてみれば、「王」である。

諸行無常とはこのことか。
「忍」の一文字で、王座をつかんだ。

いや、考えてみれば、僕に持ちやすい体型を取るというのは、知性の証なのかもしれない。
他のノコギリのオス達がいつまでも威嚇し続けるのを横目に、「ああ、また、これか。OK、OK」という感じだったのかもしれない。

なかなか、やる。

「どんなに権勢を振るっても、結局、最後まで生き残ったものが勝者であろう」

もはや、口調まで変わった「コクワお」、いや、「徳川 コクワお」が、そう僕に告げていた。

知っていたのだろうか?

だが、こうした作戦は本当に有効なのだろうか?

なんと言っても、最初は屈しなければいけないのだ。
相手よりも寿命が短いと決まっているわけがないのだ。
その間に自分が死んでしまう可能性だってある。

そこで死んでしまえば、耐えるだけの人生(虫生)で終わる。
それなら、逆らって、万が一のチャンスに賭けるというのだって悪くはないはずだ。

だが、コクワおは、「耐えて長生きする」という戦略をとった。
相手はノコギリクワガタだ。僕がコクワおでも、この戦略だろう。
いや、この戦略しかとれないだろう。

まあ、コクワおは、長生きして良かったな。
なんか、彼は、年も越しそうだぞ。

うん?
その時、僕は何かに気づき、背筋に寒いものを感じた。

あわてて、僕はネットでクワガタの寿命について調べてみた。

すると、何ということか。
なんと「コクワの寿命は長い」のだ。

コクワおは知っていたのだ。
自分の寿命が半端ないことを。

ビバお、クワおの時代も、彼は、
「ノコギリクワガタは寿命が短い。耐え抜けば、そのうち、俺の時代が来る」
と耐え続けていたのだ。

屈辱だとしても、ただ、傷を負わないことを重視する。
ノコギリクワガタたちは、鉤爪を何本もなくしていたのに、コクワおはフルスペックでここまでたどり着いた。
これが「韓信の股くぐり」か。

ハッと、僕は振り向いて、虫かごを見ると、こころなしか、コクワおがニヤリと笑ったように見えた。

新しい仲間の投入

コクワは、どうやら数年生きるらしい。

うーむ、これは予想外であった。
コクワ一匹を数年飼うのか・・・。
正直、つらい。

コクワおにとっても、その間、ずっと一人はややかわいそうである。

だが、そんな思いもつゆ知らず、クワおが一人で持て余した豪邸を、コクワおは小さい体で、存分にエンジョイしていた。

ときにはゼリーの上で寝て、ときには木で遊ぶ。
時間が経つにしたがって、隠れることすらやめ、「遊ぶ途中で力尽きて寝た」というような日も見せ始めた。
これほどの人生があるだろうか?

コクワおが良くても、僕が退屈すぎる。
コクワおに仲間がいればいいのにな・・・、そう思っていた。

そして、そのチャンスは思ったより早く訪れた。

ある日、コクワおと同じ公園で、怪しい虫を見つけた。

コクワのメスに見える。
コクワのメスなら、思ってもみなかった僥倖である。
だが、何かちょっとおかしいような気もする。
カタチが個性的である。

詳しい人に聞くと、「コクワのメス」だと言う。

なら、そうなのだろう。
コクワおの喜ぶ姿を思い浮かべながら、早速、家に持ち帰った。

新人の正体

早速、コクワおの虫かごに新人を投入する。

新しい侵入者に、コクワおは、ちょっと驚いた様子だったが、なんといっても、はじめてのコクワのメスである。

嬉しくないわけがない。
ちょっと人見知りなのだろうか。

いやあ、もう、何ヶ月、コクワお1匹だけだっただろうか。
やっと、見ごたえが出てくるな。

そんなことを思いながら、携帯を見てみると、件の「詳しい人」からLINEが来ていた。

「ごめん、それ、フンコロガシだわ」

そうか、コクワのメスじゃなくて、フンコロガシか。

悪いが、触るのも汚らわしい。
そんなに普通にフンコロガシっているものなのか?
アフリカあたりの昆虫じゃないのか?

野生の「後のヤツ」が飛び出してきた

またもや、一人に戻ったコクワおに、ついに仲間がやってきた。

冬を越し、新しい夏を迎えると、また、間抜けなコクワガタが公園に落ちていたのだ。

だが、考えてみると、コイツも数年生きるのか・・・
そうすると、コクワおが死んでしまっても、コイツがまた生きることになり・・・、また、夏が来て・・・。
エンドレスである。

僕は永遠にコクワガタを飼い続けることになるのだろうか。

だが、一瞬の同居人がフンコロガシだったという悲しさは癒やしてあげる必要があるかもしれない。

僕は逡巡の末、そのコクワを持ち帰ることにした。

「後のヤツ」

家に帰り、コクワおの家に、新人を入れてみる。

やはり、フンコロガシとは違い、お互い警戒しているように見える。
うむ、同族は分かるものなのか・・・。

我らが王「コクワお」よりも、かなり小さめのコクワである。
これなら、王も安心であろう。

とりあえず、コクワおに仲間が増え、僕の虫かごの中は少しだけにぎやかになった。

なにしろ数年ぶりのクワガタの新人である。
もう名前の付け方すら忘れてしまった。
名前は、「後に入れたヤツ」となった。

うむ。
まあ、おいおい名前はつければいい。
とりあえず、良かった。

次の日、「後に入れたヤツ」は死んでいた。

二代目の後のヤツ

どうやら、コクワおがいじめたらしい。
こいつも「行くときは徹底的に行く」タイプであったか。

「もうひとりで生きていけ」と思ったが、どういう天の配剤か、また、コクワが公園に落ちていた。

前回のヤツよりもやや大きめ、コクワおよりもやや小さめのオスだ。

正直、もうどうでも良かったが、一応、持ち帰り、虫かごに入れてみた。

ここからが意外であった。

LGBTを調べる

1代目と二代目のどこが違うのか分からないが、コクワおは2代目をたいそう気に入ったらしい。

どこに行くにも、何をするにも、一緒にするようになった。

驚くのは、木の穴にオス二匹が一緒に入って寝ていることだ。
これはもうあれだ。

だが、最近は色々あって難しい。
僕はネットでLGBTについて調べた結果言えるのは、コクワお達はゲイかもしれないということだ。

うーむ。仲良しである。
これほどの関係は今まで見たことがない。

二匹でゼリーの上で寝る、というのも恒例になった。

幸せな日々のあとで

もう大丈夫だ。
最高の伴侶を得て、コクワおも幸せだ。
もう、虫かごを見る必要もないだろう。

妻の記憶でいえば2年、僕の記憶でいえば1年ちょっと、2匹は一緒に暮らした。

そして、その後、2代目の後のヤツが先にひっくり返る。
あとを追うように、コクワおもついにひっくり返った。





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