僕と妻のレディーファースト
最近、森元首相の女性蔑視発言に批判が殺到している模様ですが、それに対して、「黙りなさい」とか「朝食会場で会ったら覚えておけよ」という発言をメディアは嬉々として伝えていますけれど、その発言も元の発言と同じレベルなんじゃないの?と思いつつ、「自分は大丈夫かな?」と身を振り返っていたのであります。
となると、振り返る最初のステップは、一番身近な妻に対する僕の態度を思い返すことになるのであります。
荷物をさりげなく持ってくれる
「荷物をさりげなく持ってくれる」というのが、男性にされて嬉しい行為として、大変に多く挙げられます。
妻に出会った当初、僕もさりげなく荷物を持とうとしたのですが、そこで思いも寄らない抵抗にあうことになりました。
妻が荷物から手を離さないのです。
「ああ、そうだ。この人は普通じゃなかったな。」と思い出して、
「大丈夫だって。取らないから。ちゃんと返すから」
と言うと、
「いや、なんか、女の人が男の人に荷物を持たせてるっていうのが、嫌いなんだよね」
と男前な信念が返って来ました。
ほとんどのことに、むしろ信念を持たない様子の彼女が、どうして、ここに信念をもっているのか?と若干、混乱しましたが、素敵だなっと思いました。
より重い荷物の場合
旅行などに行くと、荷物は重くなりますよね。
この場合も最初は同様です。
「持つよ。重いでしょ?」というと、「いや、いいよ」と首を振る。
しつこく言うと、「うるさいな!」とキレかねないので、というか、確実にキレるので、しばらくそのまま泳がせます。
すると、だんだん妻の口数が少なくなっていき、歩くスピードは衰え、信号待ちの時などに座るようになります。
その頃に「ほら、よこしな」というと、渋々、荷物を僕に渡す。
一度、これを経験すると学んで、次はある程度の重さから、荷物を渡すかな?と思うと、そんなことはまったくなくて、また、最初から、これを繰り返すのであります。
つまり、まず、どれだけ行けるか、妻はチャレンジしてみるのです。
ここで、チャレンジの終盤を他人から見ると、「ああ、奥さん、つらそうなのに、旦那さんは、荷物を持ってあげないんだ、、、」というように見えるわけです。
妻の信念は立派だなと思う反面、こういう困った面もあります。
どちらが先に入るのか?
レディーファーストの代表的な場面の一つが、「ドアを開けてあげる」というケースでしょう。
これも困ります。
妻は先に行きたい時と、後から行きたい時があるらしく、開けてあげて行かないから入ろうとすると、急に割り込んで来て2人で挟まるとか、さっきは先に入ったのに今回は入らないから、ドアの前でお見合いするとか、日常的に混乱を招いています。
これも、他人から見ると、僕が悪く見えるでしょう?
海外では
海外では、これがより難しくなります。
妻は、普段は僕の前を歩いていますが、海外に行くと、危険を察知するのか、僕の後ろに潜むようになります。
そして、安全を確認すると、前に出始めます。
犬猫のように本能そのもので動く、卑怯な方針ですが、場面場面によって、妻の位置が異なりますし、また、妻が先に行きたいか、僕を先に行かせたいのか、日本にいる時以上に不明なので、非常に困ります。
特に海外ではレディーファーストに厳しそうですから、僕に対する風当たりも強くなりがちです。
このように、どんな時でもスマートに女性を先に行かせるという僕の理想は、なかなか実現が難しいのであります。
まあ、このように
まあ、このようにレディーファーストは難しい。
男女差別をしないという面では、荷物を渡さない妻の信念は素晴らしいけれど、結局、体力が足りずに、僕に持たせることになるわけですから、果たして、どうすべきか。
ドアを開けて待っていても、先にスッと行くどころか、僕の背中を小突いて、先に行かせる時もある妻。
もう、どうしていいか、分かりません。
僕はレディーファーストを心がけているのに、受け入れ側が拒否するわけです。
他人から見れば、僕はレディーファーストの概念がないように見えるでしょう。
あきらめよう。
触らぬ神に祟りなし。
もう、その方針で臨みつつ、他人が女性に荷物を持たせていても、「もしかして、奥さんが強い信念を持っているのかも」と想像してみる余裕は持ちたいなと思います。
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