5.イキルイミ( I kill me)

中高生のころ、自分の個性について考えたことがある人は少なくは無いはずだ。
もしくは、"自分の色は何色か"、"自分の強いところ、弱いところはなにか"のように、自分を俯瞰的に表現するように問われたことはないだろうか。
その問いの先には、「この子の個性はなんだろう」、もしくは「なんか私、賢そうなことを言っている。」という思いがあるに違いない。

この問いに対して、無難な答えや親や教師に好かれる答えはあるものの、それで自分が納得できるかはまた別である。他人目線で自分の将来を決めてしまうのは、自分で自分を殺してしまっている。その一方で誰かに認められたいという、承認欲求も当然ある。そういう矛盾を感じて大抵の人は考えるのをやめるのも、ひとつの事実である。

では自分の色を考えてみればなにか前に進むのだろうか。自分の色と言われて、例えばオレンジ色、黄色、黒色など、様々な返答がある。あなたも考えて見てほしい。何故か大体の人が、単色で答える。しかし、好きな人の前での自分、嫌な人と対峙している時の自分、今から眠りにつこうかという時の自分、それぞれ違いがあるはずだ。だから自分自身の色もひとつじゃないはずだ。

いろんな自分を発見する。そうすると次の疑問ができる。自分の素の状態、オリジナルはどれなんだろうという疑問だ。そしてまたこの疑問も私自身を殺してしまっているのだ。

人の顔はひとつじゃない。そして自分が思いがけないものが出ると、とっさに否定したくなる。それは自分という生き物は日々変わっているということを受け入れるのが怖いからかもしれない。または、自分はこういう人でありたいと、勝手に思い込んでいるからかもしれない。しかし、その受け入れるのが怖い気持ちも、思い込んでいる気持ちも、自分自身なのである。それを受け入れられるかどうかが、精神的な成長のチャンスであると思う。

そしてこれに付随するのが、自分が生きている意味という問いである。
結論から言ってしまえば、意味などない。あまりにもあっけなさすぎたので、生物学的な意味を付け加えると、ヒトという種族のオスとメスが営んだ結果、子が生まれたということだ。それだけである。それは例え名家の子孫でも、伝統分野の家系でも関係ないことである。もしも親が何か意味を持たせて来ても、それはただのエゴなのである。じゃあ生きているのは意味ないし辛いからやめたいと思っている人もいることだろう。それも全くの見当違いである。
人も生き物である以上、生存本能があって自分の身を守ろうとする。ここも勘違いして欲しくないのは、いじめや暴力、つらいことから逃げるななんていうことではない。それはむしろ逃げるべきだ。私が言いたいのは、自分で自分の命を絶とうとすることは違うということだ。生まれてしまった以上、生きることをやめることはできないのである。だからこそ人は色んな面をもっているのだ。
自分のオリジナルがわからなくたって、生きてる理由がなくたっていい。生きていいんだ。

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