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1週間の振り返り(8/52週目)

気づけばもう月末。

振り返り

前の週の練習試合で蹴られたところが腫れてしまい歩くことが困難になってしまった。試合直後は少しだけ痛みを認識していた程度で歩くことに支障はなかったのだけど、夕方から夜にかけて痛みが大きくなった。試合後にアイシングをしなかったのに加えて、温泉施設で岩盤浴に入ったことが原因だと思われる。当初は全然痛くなかったのにな。腫れが増し、体重をかけるたびに激痛が走る。過去10年間の中で1番の痛みを観測した。怪我をなめていると痛い目にあう。

あまりの痛さに骨折や靭帯損傷を疑って月曜日に病院を訪れた。チームが提携している病院で、念のため、信頼できるお医者さんや理学療法士さんに状態をみてもらった。結果は骨・靭帯ともに異常なし。若干、蹴られた部分の筋肉が損傷しているとのこと。よかった。これは怪我ではない。自分が属するチームでは打撲と捻挫は怪我ではないという不文律が存在している。ようは少しくらいの痛みを抱えてプレーをすることは選手として当たり前であって、簡単な怪我で練習を休むなよ、ということだ。一見、非合理的なように感じる。しかし、簡単な怪我で練習を休んでいるようではコンディションは上がらないし、そもそも敵はこちらが怪我をしているからといって手加減してくれるわけでもない。勝負の世界では、合理的な考え方だと思っている。

おや、気づいたら月末になっていたようだ。会社では昇進が内々定をしているようで、正式に部下を抱えることになるみたい。それにともなって、緩やかに自分がみる仕事の量が増加している。裁量と責任を与えられることは願ってもない成長の機会ではあるのだけど、半日勤務でどれくらい対応できるだろうか。やり方を考えないと早々にボロが出そうで怖い。月末ということだけあって、やることが山積みの状態。

いまお世話になっている会社では経理・財務を担当しているが、会社として両領域における型が弱く、組織としても個々としてもバックオフィスのレベルは(正直言って)高くはないと思っている。20年来のやり方を個々人が自主的に(勝手にともいう)アレンジして日々の業務を回している感じ。全てが悪いとは言わないが、改善するところは多いと思われる。

時代が進むにつれてツールが進化しているのに旧態依然とした体制でモノゴトの処理にあたるのは合理的ではない。変化をしない、というメリットを享受する代わりに、変化をした場合のメリットを捨てているともいえる。

正しい型なしにアレンジをすることほど怖いものはない。内部組織に見習える存在がいない場合には、外部にそれを求めるか、もしくは自分で考えて構築していくしかない。型の構築は向こう数年のテーマになるだろうね。

競技の方に目を向けると、ここのところ後手後手になってしまうことが多いと感じている。自分が取り組む競技はチームスポーツであり、そこで大事なことは、自分の意見をきちんと述べること、なのだけれども、最近はどうも自分の意見をきちんと述べられている感じがしない。周りの要求の波に飲み込まれて自分の主張ができていない気がする。もう少し深く自省をすると、そもそも考えきれていないし、たとえ主張をしたとしても、それはチームのためではなく自分だけのためであったのではないか、ということに気が付いた。”ない”ことを批判するのではなく”ある”ことで最善の選択をしていくスタンスが強く求められている気がする。

このスタンス、仕事では比較的できていると自負しているのだけど、競技になると全くできていないよなあ。その差は、自分の利益を求めるか、もしくは全体の利益を求めるかという、視座の違いにあるのではないかと思っている。

祝日を利用して、幼少期からお世話になっている神社を参拝してきた。家には簡易的な神棚を設置しているのだけど、年末年始は喪中だったため、御礼参りにいくことができていなかった。山にある神社のため、神社の最寄り駅からバスで移動、そこからさらに363段の階段を登ってケーブルカーに乗り込んでようやく到着する。ずっとこころに引っかかっていたことを済ますことができてよかった。隣接するカフェに入ってコーヒを飲んで、新しい神宮大麻をお預かりして帰宅した。

山の下に広がる、うっすらと白みがかかる青基調の景色がとても美しかった。

行動目標

著しく数字が悪化している。疲労感や仕事の忙しさにかまけて、競技・自己研鑽関係の実行度が低下、同時にストレスから食事管理に関しても実行が疎かになってしまったと反省している。

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