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雲の合間に見える空の色

晴れた空の日なら、この夜明けはきっとレモン色を抜いた強烈な青と濃い黄色のグラデーションだったろうなと思う。ハイになっているときに抑えてしまった旅程で、にわかに信じがたい早朝に空港に来ている。所要時間がわからなくて早めに抑えた定額タクシーにはきっかり出発1時間前に空港に到着してもらった。待っている間のカードラウンジには朝には少しヘビーなアレンジがされた洋楽のピアノアレンジがそこそこの音量で流れている。

空港に向かうまでの間、大半が地下に埋もれた高速道路を使うのが我が家の立地である。今日はどちらかといえば雲ばかりで、かろうじて隙間に空がにじむ程度だった。それでも雲の向こう側では確実に太陽が昇り空の色を変えていっていて、きっと印象派の画家なら決して見逃さず一瞬の赤色を取り入れるだろう。

いつも空港に来ると、ことさら朝早い時間や夜遅い時間にいると、空港で働く人々を起点に働くことについて考えさせられてしまう。一般にくくられる日中の活動を主とする人間のために、それよりもずれた時間帯で働く彼らはシンプルにすごいなあと思う。簡単な感嘆しかでてこない、それだけなのだが間違いなく毎回そう思う。そのうえ彼らはとてつもないプロフェッショナルで、『誰がためにカニは剥かれる』でも述べたような懸念が浮かばないわけでもない。

わたしはちゃっかりそういう誰かの歪んだ日常の労働と、普通に生きていけている人のはざまのフリーライドをしてしまっている感が否めなくて、それがなんだか空しく悔しく、もどかしさを感じる。「消費する」という形での関与ともとることはできるかもしれないけれど、give and giveでありたいがために私もなにかこの循環に紛れ込めればいいのにと思うのは断じて傲慢な考えではないはずだ。
でも正直なところ、社会的な活動よりも今はどちらかといえばこの世ので私が知らないたくさんのことを可能な限り知り尽くしていたいと思う。「世界とはどのようなところか」という問いへの答えを模索するにあたっては、少し隔世的にならざるを得ない事実をそろそろ受け入れるべきかもしれない。

飛行機に乗る前にとてつもなくぐるぐると考え事をした。朝が早い日は行動を優先するからまだ朝食を取れていない。しかも現地についてからチェックインまで時間がありあまるので空港から街中に移動してからモーニングを取ろうとしている。それまでに血糖値不足に至るわけにはいかないので、いったんはここまで。

そろそろこれまで集中的にいろいろ言ってきた美術館への感想や雑念を言葉にまとめたいところ。荒いものから細かいものまで書いていきたいと思っている。思うのは自由なので。

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