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月例映画本読書録:2021年07月

今年、ぼくとパートナーのMは「毎月、その月あるいは前月に刊行された映画本を5冊読む」ことに決めた。
…ということで、毎月5冊最新の映画本を読んで、ぼく(=Y)とパートナーのMで短めな感想を書いて記録していくという企画の2021年7月分=第7回目である。もろもろの”諸事情”から、毎月月末更新のはずが今回は大幅に遅れてしまい、月を跨いで20日も遅延…情けない限り(8月回も遅れは免れそうにありませんが、9月末に帳尻を合わせるつもりです)。企画開始の経緯などは初回である1回目に書いたので、未読の方はまずそちらをぜひ読んでみて欲しい──また、以後更新されていくの分も含めて、以下の”マガジン”機能で全てまとめておくつもりなので、こちらのページ↓を見ていただければ、常に”現状”の全ての回がみられるはず。

では、今月の5冊をはじめよう(並びは刊行順/感想は読了順)。
今回は、6月刊行のものor 7月刊行のものから。

 ・阿部和重『ブラック・チェンバー・ミュージック』

毎日新聞出版/2021年06月21日発売/488頁/2,000円+税

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  金正日が書いた幻の論文「アルフレッド・ヒッチコック試論」を探す…という筋立ての”映画小説”ゆえ選定。しかし映画小説としての面白さは希薄で、むしろ”探しもの”についての本である。主人公の横口健二──いうまでもなく溝口のもじり──はほとんど手がかりがない中、たった三日間のリミットに頭を抱え、論文探索を助言を知己の編集者に求めると「国会図書館とか、大宅壮一文庫とかの蔵書はチェックしたのかって訊いたの」「ネットでも確認できるから(中略)検索くらいかけてみたら?」。また、別の編集者曰く「国会図書館におさめられていない本や雑誌なんていくらでもあるんですよ。納本が義務だって知らないひとも多いし、小額でもその都度ごとにお金がかかるわけだし永田町にいちいち送るのだって面倒くさいじゃないですか」。ヒントが乏しい状況で、特定の文献を探すにはどうすればいいのか…そんなとき、ひとまず最初に踏まえるべき手順が素人=主人公の視点で辿られていくのが面白い。しかし物語は中盤以降”期日”が無効化され、論文探索の愉しみは消失して、ありきたりな活劇に陥ることで弛緩する──論文はあくまで”マクガフィン”に過ぎず、著者が描きたかったのは却って後半のサスペンス/ロマンス、”男女逃避行”だったのかもしれない。しかし、どちらにせよ興味が持続したのは前半までだった。余談だが、作中登場のヒッチコック論は阿部和重が24歳のときに書いたものだといい、小説内では一部が引かれるのみだが『文學界』9月号に全文掲載されているのでご興味がある方はぜひ。因みに面白くなかったです。(Y)

 ヒッチコックの論文を、北朝鮮から来た女性、呼称・ハナコと探すことになる(元)映画監督の横口健二。設定から読み解ける通り、巻き込まれ型主人公によるノワール的な雰囲気漂う作品だ。展開がある程度のスパンで進んでいくので退屈はしないが、北朝鮮とアメリカ、あるいは韓国の近年の政治背景を活かすなどワクワクする設定からするとこじんまりした読後感。
 主人公の軽薄な正義感は、巻き込まれ型主人公らしいとも言えるので一定の愛着は持てるが、重要人物”ハナコ”は偽名を授けられた呪いなのか、最後まで匿名的で愛着が持てない。北朝鮮から任務を受けてきたある程度若い女性…という記号で結局最後まで進んでしまった印象である。
 帯にも「ラブストーリー」と書いてあり、予想できる王道展開なので普通にネタバレすると、中盤で横口とハナコは恋愛関係になる。ただこれが個人的には腑に落ちないというか、あまり魅力的に描かれていないと思った。誰かに恋に落ちる描写や展開に、はっきりとした理由付けはなくてもいいと思っているが、だとしても横口がハナコのことを好きになるのはある程度若くて美貌もあり、聡明でありつつ健気に任務をこなす姿に上から目線でキュンときたとしか思えない。軽薄な巻き込まれ型の主人公らしいといえばらしいが、ハナコはそれで良いのかい。少なくも「怒涛のラブストーリー」といえるほどロマンティックな物語には思えない。(M)

・友田義行(責任編集)『フィルムメーカーズ22 勅使河原宏』

宮帯出版社/2021年06月23日発売/214頁/2,700円+税

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 一人の編者がたっている論集タイプの本(論集という表現で良いのか自信はないが)。勅使河原宏は家元としての顔や、実験映画作品、あるいは安部公房との仕事など多角的に論じる必要がある作家なので、このタイプの書籍とは相性が良いと思う。ただしこの手の形式の本はどうしても1人1人の論者の分量が短く、単一の論考の読み応えが寂しいことも多い。逆にユリイカなどは各論考の読み応えはあるが、全体としての統一感がなく、読み通したときに物足りないこともあるので難しいが…。
 本著も率直にいえば、字数的にやむ終えなかったのであろうが、枝葉が切り落とされ随分とあっさりした内容の文章や、作品論と銘打ちながらほとんど作品の説明をしているに過ぎない論考もあった。ただ私としては勅使河原は簡単な略歴程度しか知識のない監督で、これを機に様々な面を知るこどができたのはよかったので、入門書としては十分だったと思う。
 具体的に良かったのは、作品論では『利休』を論じた西田博至の章。『利休』には幾つもの生首が登場する…といい、具体的な描写を分析していく。どの筆者も少ない分量であるから、このように戦略的に削ぎ落とされ書かれた文章が際立つ結果になっている。また同じく『利休』で、宮下玄覇による美術に関する解説は資料としてありがたい。あとは入っているインタビューを全て同一の筆者(若木康輔)が担当しており、比較して読んでも統一感がありインタビュイーの差異もわかりやすい点もよかった(M)

 この手の書物は、責任編集者の色が如実に出る。2019年にめでたく復活を迎えた「フィルムメーカーズ 」シリーズ=”第二期”の5冊目である本書は、1冊目「スティーヴン・スピルバーグ」──”2作抱合せ”方針がユニークな作品論パートが出色──と並んで、少なくとも復活後もっとも見事な一冊だろう。まず舵を取る責任編集者にいままでも勅使河原(そして安部公房)を研究してきた友田義行を招いてきた英断の勝利であり、その延長線上にある執筆者陣の座組みの豊かさの勝利といえる。巻頭言で友田が述べるように確かな”専門”性を感じさせながら、人脈起用の”閉じた”息苦しさを感じさせない。読者それぞれ好みは分かれるだろうが、個人的に3冊目「ジャン=リュック・ゴダール」は、期待していただけに責任編集者の人脈起用があまりに色濃く(論考自体に良いものはあれど)落胆してしまったのだが、一転本書はその対極にある。数ある論考のなかでもとりわけ面白かったのは、エイブラハム・ポロンスキーと勅使河原が思わぬところで繋がる事実に驚かされた木全公彦の『サマー・ソルジャー』評と、制作経緯などの情報紹介による”作品解説”に背を向けて作品それ自体と真っ向から対峙した西田博至『利休』評。勅使河原茜、井川比佐志、本木克英へのインタビューの充実や、ふんだんに再録された勅使河原自身の文章によって、資料価値もシリーズ随一。唯一、残念なのは、復活以降いまだ「21世紀以降にデビューした新しい世代の映画作家」が取り上げられていないことくらいだろうか。(Y)

・リー・メラー『ビハインド・ザ・ホラー  ホラー映画になった恐怖と真実のストーリー』

青土社/2021年06月28日発売/360頁/2,400円+税

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 副題「ホラー映画になった恐怖と真実のストーリー」が説明している通り、映画の着想源/元ネタ事件紹介本。”ホラー”と称されてはいるものの扱われている作品は広範で、必ずしもホラージャンルに合致しないものも少なくない──たとえば…『ロープ』や『羊たちの沈黙』は、果たして”ホラー”なのだろうか。また著者のメラーが犯罪学者というのもあり、紹介される”元ネタ”はシリアルキラーによる(わりあい有名な)犯罪事件も多く「聞いたことある話ばかり」という人もいるかもしれない。とはいえ、その点さえ気にしなければ軽めの映画読みものとしては十分楽しめる。個人的に特に興味を惹かれたのは『日没を恐れた街』(1976)という作品についての章。私は不勉強ながらこの日本未公開作の存在を知らなかったのだが、タイトルに見覚えがないのも当然で、本書での”邦題”は便宜上つけられたもの。元になったのは、1946年にアメリカ南部のスモールタウンで若きカップルたちを次々殺害した覆面──色は白だが、どこかゾディアックを想起させる──の殺人者”ザ・ファントム”(絶妙にチープな命名!)による「テクサーカナ月光殺人事件」。いまだ未解決のこの事件自体は凄惨きわまりないが、2003年以降この町では毎年ハロウィンに本作を見るイベントが恒例化しているとのことで、おもわず笑ってしまう。(Y)

 映画の題材になった実在の事件を紹介する本。登場する映画は著名なものばかりだし、なんとなく「モチーフになった事件があるらしい」ということを知っていても詳細は知らないことも多いので、映画好きであれば楽しめる内容だろう。また、猟奇殺人に関しては記録を辿りかなり詳細な記述もあるが、心霊系のトピックスではむしろ、その事件がポルターガイストなどではなく、仕組まれた事件であったことを示唆している点も面白かった。もちろんその事件に対する現在での見解がそのように落ち着いている…ということに過ぎないが、全くもって原因不明な心霊事件が登場しないのが逆に興味深い。
 ただ、本著は順々に実在の事件や人物を紹介していくに過ぎないので、例えば実際の映画での描写の比較であるとか、映画批評的なアプローチはない。フリッツ・ラングやヒッチコックからトビー・フーパーまで登場し、実在の事件をいかに映画へ落とし込んだか…という点は書かれているので、それぞれの監督の差異についても、考えるヒントは与えられる。ただしあくまでもヒントであり、興味のある事項について調べるきっかけや助けにはなるが、繰り返すと映画批評的なアプローチはあまりないので、その答えが記されているわけではない…ということを購入を迷っている方にはお伝えしたい。(M)

・吉田広明『映画監督 三隅研次──密やかな革新』

作品社/2021年06月30日発売/432頁/3,600円+税

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 映画本の大冊を続々送り出す作品社から吉田広明の4冊目が出る──しかも三隅研次の作家論!と情報解禁以降、待ち焦がれていた1冊。個人的に著者の”ハリウッド三部作”(勝手に命名)は、2010年代を通して何度となく読み返した”道標”といってよく、思い入れも殊更だが…本書は悩ましい一冊である。本書は400頁超の”長篇評論”だが、純然たる作家論としては約100頁=3章分に限られていて、基本的に時系列順(時に前後する)で並んだ、画面の演出にも適宜言及しつつの物語記述/”作品解説”の連なりが大部分を占める構成になっているのは評価が分かれるところだろう。著者の確かな描写力による牽引があればこそ興味を持続させることができるが、”作家論”に到達するまでの約250頁を読み進めるには少々根気を要する。とはいえ、個人的に興味深かったのは、必ずしも”表層”に拘泥せず、観る者の内面において喚起される印象を尊重した記述が少なくないこと。これは、言語化しがたい”編集”という領域が三隅作品における最重要工程であるということとも無縁ではないかもしれない。”作家論”として纏め上げることへの苦心が吐露されている「あとがき」を読み、思い出したのは『キネマ旬報』の映画本大賞での吉田の選評だった──「「正しさ」になど決してつくまいという「批評」の意志」。必ずしも”端正”ではないかもしれないが、”意志”が漲っているのは間違いない。なにより、とにかく三隅作品が見たくなる。ならば、これで良いのだ。(Y)

 本著は主に大映のスタジオシステムの中で名作を生んだ監督・三隅を“作家”として顕揚するという意図で書き始められたという。ただ、まえがきを読んだ段階では率直にいうと三隅という監督を“作家”と形容することに軸をおくアプローチで語る必要があるのかという疑問があった。しかしそれは杞憂であった。
 まず、作家という言葉に関してはあとがきでその言葉にこだわることが最終的には無意味に思えてきたと述べている。しかし三隅の作風をより明瞭に捉えるためには、いわゆる“作家主義”的な視点から三隅を捉え直すプロセス自体は不可欠であったと、最後まで本著を読めば納得できることだろう。
 例えば”貧弱”とも評されてきた三隅の思想性に関しても、三隅が抱いていた任侠映画への嫌悪感から分析している。また、映画表現に行き渡る三隅の根底にあるであろう”社会の捉え方”も議題にしており、彼の思想から信念へと目を配っているのが興味深い。
 気になった点としては、第1章のタイトルを「三隅研次の位置と処女作」としていることに始まり、撮影の牧浦地志との関係を「肝胆相照らした女房役」と表現したり、『眠狂四郎勝負』のあらすじで登場人物が対決を避けたことを「対決は流産させられる」と書いていたのが気になった。こうした表現を使うなという意味ではないが、あえてこの表現を使用するのであれば、そこに意図は必要だと思うのだが、私には使用の必然性は感じられなかった。(M)

・山崎圭司+別冊映画秘宝編集部(編)『別冊映画秘宝 恐怖!幽霊のいる映画』

双葉社/2021年07月07日発売/223頁/1,800円+税

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 体系的な”幽霊映画史”の本かと思って手に取ったが、そうではなかった。もちろん”歴史”にまつわる原稿もいくつか収められてはいるが、単体作品評は11作分のみなのが寂しい。「幽霊映画のクラシック10」と題されたこの章で扱われているのは『たたり』『ザ・フォッグ』『チェンジリング』『ポルターガイスト』『リング2』『シックス・センス』『アザーズ』『2000人の狂人』『パラノーマル・アクティビティ』『インシディアス』『死霊館』──”クラシック”定義を考え始めるのは流石に野暮かもしれないが、わずか10枠と思うと選定にはモヤモヤせざるをえないものもある。作品評は外国映画オンリーである一方、論考は日本映画関連が多い…という構成はグー。ノーマン・イングランドの『悪魔の棲む家』についての文章は、図らずも『ビハインド・ザ・ホラー』と重複する内容なので読み比べてみるのも一興だろう。とはいえ、いざ読み終わってみて印象に残るのが(あくまで個人的な所感だが)結果的にインタビューばかり──鶴田法男/木原浩勝/中原昌也──というのは喜ばしいことではないような。しかし、内容以上に気になるのは、一人で6つも原稿を書いている「大葉加奈男」という書き手の正体である。巻末の執筆者紹介欄では「覆面なんでもライター」とあるが……平山夢明ではないだろうし。(Y)

 裏表紙にも「幽霊は、いるのか?いないのか?」と書かれているが、記事でも筆者の心霊体験や、映画にまつわる怖い話のページもあり、実世界での心霊現象への興味とオーソドックスな批評や作品紹介が入り組んだ構成になっている。その点を楽しめるか、ノイズになるかは人によって恐らく異なり、私の場合はノイズになってしまった。
 実在の現象とは切り離して書かれた文章もいくつかあり、そちらの方が(現実の現象に分量を割かないこともあり)説明が簡潔丁寧に思え、であればそもそもその設定は必要なのか?と疑問に思ってしまった。だからこそ、前のめりで心霊現象に関心がある筆者たちよりも、例えばホラー映画に関心はあるものの、現実の現象にはそこまで関心がなさそうな中原昌也のインタビューのほうが、その関心の揺れも含め面白いという、皮肉な構図になっている。あるいは高橋洋の「Jホラー揺籃期のこと」というページで、当時のホラージャンルに向けられた雰囲気の説明として、色々と語って説明したが相手に響かず「本当に怖いのは人間だよ」と常識を語られた、というちょっとした一文の方がなぜか印象的だったり。
 ホラー映画好きの中で、映画でいかに描写されているかとい関心の他にも、いわゆるオカルトも好物、という人はどれくらいいるのだろうか。私が思うよりも多いのであればきっとこの本の戦略は正しいのだろうけど…、そもそも本題の映画解説や情報が薄味なのではという辛口な考えもよぎったり。(M)


* * *

〈その他・雑記など〉

 松田青子『自分で名付ける』がかなり面白く、すぐに読み切ってしまった。松田が自信の妊娠・出産・育児の体験を綴るエッセイで、帯にあるようにいわゆる”母性神話”をふっとばせ〜的な痛快な面ももちろんあるが、本著のよさは他にもたくさんある。まず、ちょっとした時にかけられた言葉から、松田がみるみる思考を巡らせていく様が心地よいこと。たとえば出産時にタオルを持参するよう言われたらしく、古いマリメッコのタオルを持っていくのだが、助産師の方がマリメッコのタオルを汚すのがもったいないから…と病院のタオルを使ってくれ、古いからいいやと持参したタオルだったがなんだか大切なものになった、という話など。ささやかだけれど、確かに嬉しくなっていつまでも思い出せそうな話がたくさん出てくる。
 買おうと思って買っていなかった田島列島『短編集 ごあいさつ』も良かった。23歳の時にはじめてしっかり書き終えたマンガだという『ごあいさつ』は、主人公の姉が不倫をしており、その不倫相手の妻が姉の不在時になんども訪ねてきてしまう…というストーリー。最初期から家庭不和の外縁を題材にしていたのも興味深いが、最終的に主人公が一向に帰ってこない姉に「帰ってきて」と伝え、妻と引き合わせるという展開も良い。外縁から当事者に一歩近づくことを、定期的に描いてきた人なのだと分かった。(M)

 記事の最初にも書いたけれど、もろもろの事情から遅れに遅れ、7/30更新予定が8/20までズレ込む始末でなさけないことこの上なし。繰り返しになりますが、9月末で帳尻を合わせるつもりです。ご容赦ください。
 7月は、買うだけ買ってあまり読めずといった感じのひと月だった。雑誌のバックナンバーはちらほら読んだ覚えがあるが、記録しておらず定かでない。とはいえ、このnoteでも告知した『〈アメリカ映画史〉再構築』書評+著者インタビューの準備で、短期過集中で2度ほど読み直し、索引を自作したり、過去の雑誌をかき集めたりしたのは本当に楽しかったので良しとしたい。まだ読んでいないみなさま、しつこいようですが、是非お読みください。(Y)

では、今回はここまで。
次回は8月31日更新予定です…が、
さすがに9月の1週目くらいになりそうです。


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