014. 【ワーホリ】人生で二番目くらいにノドがカラカラになって気づいたこと
出稼ぎと話題のワーホリに来て三ヶ月。
未だに貯金はほとんどできていない。いつも給料日直前の口座残高はギリギリで、ほんまかろうじて生かされている。
お金が全てじゃないと言い聞かせながら、街中を歩いていたら目に入ってくる、決して高級なわけでもないものすら買えない自分が、たまに情けなくなる。
1パック12個で5ドルくらいの卵を買うのに躊躇する。服や化粧品やカメラや欲しいものはたくさん現れるけど我慢。
こんな時期も人生にはやっぱり必要なのかな、と思う。このもどかしさのようなもの、苦しさ、やるせなさを忘れない。
あまりいい動機づけではないかもしれないけど、こんな気持ちを二度と味わなくていいように、自分の子供に味わわせないために、がんばれる自分でありたい。
そして今わたしが、喉カラッカラでもスーパーの水に3ドル出さず、約一時間かけて家に帰って水道水を飲むという選択をとるために、背中を押してくれた言葉がある。
あいみょんがラジオで言っていた。苦しかった時代に、シャンプーを水で薄めて使っている自分をみて、こう思ったらしい。
この言葉の本質は、天狗にならないとか常に謙虚さを忘れないとかそうゆうことだろうけど、わたしがもし今の状況に当てはめるなら何て言うかな、と考えてみた。やっぱり、
喉カラッカラでも水道水を飲むために家に帰る自分でありたい。
になるかな。
いや、冷静に考えたら「どんな状態でも水筒を持ち歩く人」の方が賢いよな。
まぁ何が言いたいかというと、どんなにお金や地位を手に入れたとしても、物や人に対する感謝を忘れないでいたい。どうせ捨てればいいしって買うよりも。
お金欲しいーーーーのど乾いたーーーー!
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