好きな女が死ぬらしい。
「身辺整理しなきゃ」
大学卒業が難しい可能性が出てきた彼女はそう言い放った。
彼女とはゼミで知り合った中で、ライターを目指していた。来年は2人で安アパートに住もうなんて夢を見ていた。
彼女は死ぬかもしれないということを自分で悟りそういった。
その後LINEグループからは退会していった。
個人チャットは息をしている。
ただ、ただ薄い繋がり。
彼女の呼吸の浅さがわかる。
鬱を同じように患い自殺未遂を犯した男にそれをいった。激情の中、彼は
「絶対に止めた方がいい」
「いや、わたしは止めないよ。どうでもいいから」
そう、彼女が死のうが死なないが、わたしはどうでもいい。好きな女が自分で決めたことは止めない。
ただ、最後にあったのが彼女の自宅まで車で送った2時間であったことが、寂しいだけ。
そもそも、彼女の人生が豊かになることをわたしは保証できない。だから、隣にいるのだ。
「別に死はゴールでもなんでもなく、ピリオドで、そこから何が変わるわけでもない」
これはわたしと彼女の持っている観念である。
リスタートを切るわけでも輪廻転生であるわけでもなく等しい時空間が流れる。
彼に止めた方がいいと言われたが、大学やその金銭に関してはわたしは何も救えないし、救おうとも思わないし、責任すら持てない。彼女の目標が死へと変わった人生は別にライターになるという人生となんら変わらないと思う。
目標がない尸のような生き方をするくらいなら彼女のような生き方がわたしは花を手向けたい。
愛おしくあるから、1人の女として、人間として、見届けたい。
人生なんて今際の際の線路沿いを歩いているようなものなのだから。
そもそも身辺整理なんてして、美しく死ぬことを目指すことがダサいと思う。
死は花を手向ける人によって美しくなるのだから。
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