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私のミソジニー

頭上より遠く先に、光がぼんやりと揺れている。
酸素が薄く、視界の悪いここに、いつからいたのだろう。
不思議ね、自分の意志で決めて進んでいいのに、みんな同じ方へ列を作って流れていく。
倒れた人に手を差し伸べる者はいない。
足を引き摺り歩く老人を見て、可哀そうと足を止めた子どもに親が、私たちに出来ることは何もないと、お医者さんに任せればいいと、子どもの手を強く引き、急ぎ足で進んで行く。
流れから右に大きくそれて歩き出した中年者に、冷ややかに陰口を続ける中年者と、指を差し馬鹿笑いをする若者。多くの者は目もくれず、能面を貼り付けた顔で足早に進んで行く。
電子レンジであたためた“しあわせ″を手にしようと求めたり、諦めたり。
光は上にあるのに、横に這って進んでいく。なんの疑問も持たずにみんな。

苦しいなって気づいたら、腕は痣だらけで、足は動かないほどパンパンで、身体中からわいた錆が、歩いて来た道に接着するように体を固定していた。
錆で動かない首で、黒目を持ち上げ、ぼやけた光を見上げた。
私は何でここに居るのだろう。





『愛を乞うひと』
このうえないタイトルだと思ったのは四年前。
下田治美の長編小説。1998年に映画公開された。母と娘の愛憎を描いた人間ドラマ。2017年に篠原涼子主演でドラマ化され放送された。
生き別れた弟との再会で、母から凄惨な虐待を受けていた過去を思い出していく照恵が、知らなかった母を知り、過去と折り合いをつけ、母と決別する。
底のない闇をぶちまけるように当たる母と、作り笑いを貼り付けた娘を見ながら、数名の友人知人の存在を頭に浮かばせた。
女がゆえに女が鼻につき厳しく、時に嫉妬するのか。未熟さの表れなのか。
息子は小さい恋人。娘は自分の鏡。時たま見聞きする母娘問題を、なぜなのだろうと、自分には関わりあわない他人事として思い浮かべ、いつしか消えていった問いが、二年、三年と時間の経過と共に、輪郭を表し黒く自分を塗りつぶしていく。


フェミニズム。ガラスの天井。男尊女卑。そんなものは関係ない。
稼げないのは個人の能力の問題で、生きづらさも個人の努力の問題であり、国は平等に生きる権利を保障し、社会は性別、所属に関係なく優しくあるものであり、生きづらさに政治や社会は関係のないものだと疑うことなんてなかった。
なのに、何かがおかしい。


私と母の間に確執は無かったはずで、わけもなく母にぶたれる事も、きつく当たられ続けることも無かった。母娘問題は私には無いものと思っていたが、思い浮かべた友人知人と変わりなく、その問題は自分にも深く根付いていた。
母から冷たく当たられるのではなく、自分が母に冷ややかな視線を送り、親子だから多めに見てもらえるものだと甘え、上辺で何ら問題のない親子関係を過ごしていたから気が付かなかったのである。
自分が虐げられる立場でなかったから、問題がないと認識していたことがとても怖く、私は女性蔑視をしていた。それが蔑視になると理解せずに、当たり前の事として。

女として、母として自分の下に縛る父を嫌いながら、一人で生きていく選択を選べない母にずっと苛立っていた。女性の弱さを嫌い嫌悪する自分が、立派なミソジニーであると気が付いたのはつい最近の事である。
女である自分が、女を嫌い嫌悪する。自己否定の塊である。
フェミニズムなど関係ないと思っていた自分に、フェミニズムが一番必要な思想で、生きづらさからの解放につながると思い書いている。

私がミソジニーなのは父の躾と、母の言いつけが大きく影響している。
母に決定権はなく、何をするにも父のyesが必要な我が家で、兄の欲しいもの、やりたいことには父のyesがつくのに、次女である私の要望は「くだらない」とnoがつく。自己主張しようものなら山に捨てられそうになり、口答えをして顔をひっぱたかれた。家に上がる時は、兄と父の靴を履きやすい向きに並べ、すべての靴を揃えてから、最後に上がるように教えられた。
親戚一同が集まる祖母の家で、私と姉は、従妹達との遊びを中断して食事準備の手伝いと、後片付けをしなくてはいけなかった。流し台の前でどちらが洗うか相談していると、「おばあちゃんが洗うから遊んできな」と言ってくれる祖母のやさしさも受け取ってはいけない。父が言うことは絶対である。

二度と口など聞くものかと思った事も二度ほどあるが、心底父を嫌うことは無かった。それは父からしっかり愛されていると思える出来事があったからで、その出来事以来、父へ反抗することは無くなり、自己主張せず、空気を読み、気を利かせ、周囲や男を立て、家事全般をするものと思考に刷り込んだ。これが出来て女性として存在し、これから外れる女性は虐げられる。そうやって父の躾けからミソジニーを受け継いだ。
兄と父がキャッチボールするグランドへついて行った時、河原でキャンプしていたおじさんに、男の子と間違えられた焚火の横で、「お前が男だったら良かったのにな」と言って来た父は、男として肩を並べるように気楽に子育てをしたかったのだろうと、今になって思う。当時は女で産まれてきたことを否定されたと思っていた。

「知らない人について行っちゃだめ」が「男の人についていっちゃだめ」になり、中学生になってから、男と言う生き物がどういうものかということに母の言いつけが変わった。
遊びに行くと言う度に母は、顔と声を強張らせて同じ話を何度もする。その度に母の話を遮り、そんな見られ方をする女という生き物である自分を激しく嫌悪した。意志に関係なく快楽を得るための体。人権など存在しない。そんな扱いをされる女性が注意を払わなければならず、性被害にあった自分を責める。

女を嫌い嫌悪する自分が、男に恋をして、女であることを思い知り、自分を卑下して否定する。立派なミソジニーである自分の恋愛がうまくいかないのは道理に合う。


ずっと強くなりたいと思っていた。
弱い女として見られたくない。
強くあろうとする私の意見を打ち消すように、友人が言った「わたしは強くなりたいと思わない」のフレーズが、時間の経過と共に「強くなろうとしなくていいんだよ」に変わった。
自分に染みついた女性嫌悪と女性嫌いを正し、自己肯定をすることと、男性中心で造られた男性優位の社会構造を、女性の特性も踏まえた平等な社会に変える事が大事で、男性社会で競うように闘い、女性、母が強くなることなんてないのだ。

2021年3月31日に発表された世界フォーラム(WEF)のジェンダーギャップ指数。調査対象156カ国中、日本は120位。
今のスピードでいくと、ジェンダー公正が達成されるのは136.5年「経済」分野では267.6年要すると言われています。
『私は自分のパイを求めるのであって人類を救いにきたわけではない』
キム・ジナ著より抜粋



ジェンダー公正の達成まで100年以上かかるなんて噓でしょと思うのと同時に、スピードを速めることは出来ると分かる。
各々に染みついた性的役割分業と差別を知り、意識してフラットにしていくこと、政治を変えていくこと、法律を変えていくこと、教育を変えていくことが必要だと分かる。
無関心ではなく、そばで生きづらさを抱えている人の話をしっかり聴いて欲しい。知らなかった感覚、気持ちを知って、無意識の差別と蔑視に気がついて欲しい。
その上で、どうしたら平等になるのかを考えて、行動していくことが必要なのです。



黒目でぼやけた光をじっと見て考えていた。
なぜ私は自分を否定するのだろう。はじめから諦めていて、やっぱりねと自傷する。
あわく抱いた想いを信じ切ることが出来なくて、こんなものだと二、三歩進めた足を元に戻す。必死に手を伸ばしても光は掴めず、疲れた手を引き、眩しさに憧れるものではないと目を曇らせる。

通り過ぎていく老ふうふに抱かれた赤子が説く。
何を誰に遠慮して不満を抱く。自身で創造したことが現実となる。
一人ひとり違う光をもっているのに、なぜ自身の光を信じず、外の光を欲しがるのだと。
誰もが美しい光を持っている。その光を満たすのも曇らせるのも自分次第だと。


錆で重い身体に陽を当てて、内に燃ゆる陽を感じ、
私は、生き方を変えると決めた。




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