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Review-#041 綴じた想いと、開かれる世界─『青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない』を観て

言うほどパンダは可愛くないと思うんだ(殴


 頑張っている、ということが当たり前の"社会"では、
 それ自体はなかなか、どうしても評価されにくいもの。

「辛いのは君だけじゃない」

 一見、励ましのように思える言葉も、誰かにとっては重くのしかかる。
「自分は頑張れない」「この程度でヘコたれている」ダメな人間なのだと。

 『おでかけシスター』のみならず、『青春ブタ野郎シリーズ』で語られるエピソードはどれも、当事者たちが、それぞれなりの方法で懸命に頑張っている姿を描いている。
 たとえ「思春期症候群」なるものが現実には起こり得ない現象だとしても、彼ら彼女らの抱える青臭い悩みと、躓きながらも立ち向かっていく姿に、私は時折、こんな風に思ったりする。

 頑張っていることそのものを、
 もっと素直に、互いに讃えあっても良いのではないか。

 自分の大切な何かを擦り減らされている感覚がまとわりついて、SNSの「いいね!」ですら指が重たくなる私が言うのもなんだが、そんな気持ちにさせてくれるドラマが『おでかけシスター』にはある。

 将来を明確には描けていないだけに悩ましい、進路についての物語。
 高校生の内であればきっと、まだまだこれから、チャンスはあるんだよと声を掛けたくなるが、花楓にとっては自分の殻を破るための、非常に重要なターニングポイント。
 ネットで繋がる悪意に疲弊し、自分の世界に「おるすばん」していた彼女は、わずかながらでも"社会"の断片に触れるべく、心の扉を開いて「おでかけ」するのだ。

 果たして、彼女の決意は報われるのか。
 どちらに転んだとしても、是非心の中で応援してあげてほしい。
 (こんなにも、君は頑張っているんだから)、と。


 …という些か気持ち悪い応援メッセージが、もしそういう公募企画があったとしら混ざっているかもしれない、という体で書き出してみた。ここからはもうちょっと真面目に感想を書く。
 1年ぶりの「よもやま」更新なので、どんな具合だったか思い出しながらではあるが。頑張ったので、まぁ大目に見ていただければと(甘え)。



作品情報

青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない (2023年6月23日公開)

原作:鴨志田一(イラスト:溝口ケージ)
アニメーション制作:CloverWorks
監督:増井壮一
脚本:横谷昌宏


所感

"自分の"足を地に付けて立つということ


 早いもので原作の『バニーガール先輩』から9年、TVシリーズから4年半、こないだ配信が解禁された劇場版『ゆめみる少女』から4年が経過し、当時思春期真っ盛りでも、もう疾うに通過していたとしても、諸兄姉一同何がしかの次なるステップに進んでいるだろうと思われる。

 そんな中で、「やり残してるものがあるよな?」と言わんばかりに新作アニメーション制作が発表されたのが昨年のこと。「高校生編」完結に向けて、『おでかけシスター』と『ランドセルガール』の2作品のうち、先に劇場公開となったのが、今回紹介する『おでかけシスター』ということだ。

 で、「やり残してる」というのは、実際そうなのだ。逆算的に構成されている『青春ブタ野郎シリーズ』の一つの決着がついた『ゆめみる少女』の後の、「ここから続けるとして、先に何を語っておかなければならないだろうか」という観点から、『おでかけシスター』の物語が作られている。

 そっけない言い方をすれば、故にとても地味
 それでも、「語っておかなければならない」とするだけの価値がある


まだ知らない貴女に出会う

 本作のメインヒロインは、主人公・梓川咲太(あずさがわ さくた)の妹、
梓川花楓(かえで)。
 中学校のクラスメイトから受けた、ネットでのいじめにより心の傷を負った花楓は、その精神的苦痛が傷や痣として身体に現れる思春期症候群を発し、さらには「梓川かえで」というもう一つの人格を作り、完全に閉じこもってしまう。

 そんな彼女も、咲太が連れてきた桜島麻衣(さくらじま まい)との出会い、それから次々と思春期症候群絡みでずかずか敷居を跨いでくるヒロインたちとの交流を深めるうちに、「かえで」はこのままで良いのかと危機感を抱くようになる。現状に甘えてばかりもいられないということ、そしてどんなに望んだとしても、現状がそう長くは続かないということ。

 TVシリーズの1エピソードである『おるすばん妹』では、少しずつ外の世界に目を向けていく「かえで」の奮闘が描かれる。この記事を読んでいるなら履修済みという前提でネタバレすると、「かえで」は花楓が夢から覚めるとともに、今まで夢を見ていたかのように突然消えてしまう。
 あれほど遠ざけていたかった学校に行きたいと願った時点で、残酷な物言いではあるが──「かえで」の果たさなくてはならない役目は終わったのだ。なぜならば、本当に学校に行かなくてはならないのだとしたら、それは「かえで」ではなく、花楓の役目であるから。

 目覚めた花楓は「かえで」の一切を知らない。2年の間、花楓の心を守るためにおるすばんをしていた「かえで」の頑張りを受け止めてあげられるのは、咲太にほかならない。咲太もまた、二度とは戻ることのない時間を、涙とともに受け止めることにした。
 で。主人公の咲太にとってはよく知っている存在であっても、花楓というキャラクターは、視聴者側にとってはほぼほぼ新キャラだ。とりあえず、「かえで」があそこまでベタベタ引っ付いていたのと比べれば、花楓と咲太の間柄は現実的な距離感のある(だが決して嫌っているわけではない)ものだということは分かる。

 前作の『ゆめみる少女』では髪を切った。学校にはまだ行けていないが、新しい自分への第一歩だ。実際はもうちょっとあるのだけれど、アニメで窺うことのできる、花楓というキャラクターの情報はこのぐらい。
 ほとんど何も分かっていないと言ってよいだろう。ならば、「何を語っておかなければならないだろうか」という先の問いへのアンサーとして、彼女に白羽の矢が立つのも自然なことだ。これほど咲太に近い存在の花楓を抜きにして『青春ブタ野郎』の物語を進めるのも畳むのも、片手落ちになってしまう。

 また、花楓は記憶になくとも、「かえで」の残した日記帳をひどく赤面しながら読んでおり、この2年間でどんなことが「かえで」の周りで起きていたのかを自体は理解している。だが、彼女なりに、どのように受け止めたかまでは詳しく語られていない。
 それがあってはじめて、花楓は前に進むことができるし、道半ばで花楓に託した「かえで」も成仏することができるというもの(言い方)。拾うことなくして進むだなんてできるはずもない。
 花楓を知ること。『おでかけシスター』を制作する意義がここにある。


こんな兄に優れる妹など存在してたまるか

 時系列は「ゆめみる少女」の後、三学期。花楓は15歳、すなわち高校受験という悩ましいイベントが待っていた。

 「かえで」が勉強していた分は頭に入っているものの、学力は芳しいものではなく、公立への志望は茨の道。おまけに、時期が時期なだけあって準備期間もそこまでないときた。

 神奈川県の高校受験システムは厳しいと聞く。原作だと半ば「コレ、鴨志田センセの愚痴では?」と思えるぐらい詳細が話されており、中高生時代に神奈川県民じゃなくて良かったなとなんとなく思ったのだが、とにもかくにも不登校が長かった花楓は主に内申点で不利な状況になっているようだ。

 花楓のスクールカウンセラーである友部美和子(ともべ みわこ)は、通信制高校の選択肢を提示するが、なかなか残酷だなと思う。高校受験の直前になって切り出すというタイミングもそうだし、実力のレベルからして公立高校はほぼ無理だからって「みんなと一緒」じゃないスタイルの高校に入学することを薦めている。イケズではないにせよ、もうちょい慮ってやれよ!

 高校ではなく未就学児の頃なので記憶にはないが、私はあまり喋らない子供だという理由で特別学級に入れられそうになったことがあったらしい。親はとてもショックを受けていたそうな。
 それと似たようなものを、とっくに物心がついた花楓が当事者として聞いたのなら猶更だ。花楓じゃなくたって、途中で席を外して自分の部屋にこもりたくもなる


 だが、嘆いたところで状況は変わらない。
 それでも「お兄ちゃんが行ってる高校(峰ヶ原高校。実在する七里ガ浜高校がモデル)に行きたい」と打ち明けた花楓。
 咲太も反対することなく、麻衣たちとの助力を得ながら、試験合格を目指して花楓は奮闘する。

 『おでかけシスター』は、花楓の進路の話がメインテーマとなっているが、バカがつくほど真面目な物語が展開される。というのも、『青春ブタ野郎シリーズ』の特徴でもある「思春期症候群」のギミックが本作では絡んでこないのである。

 これまでの「思春期症候群」の症例を踏まえると、どんなに厳しい受験であっても乗り越えることができなくもないんじゃないか、と思えるだろう。
 麻衣さんのように認識されなくなる…のは、そもそも受験できなくなってしまうのでダメだとしても、例えば古賀のように「ラプラスの悪魔」(未来のシミュレート)がはたらけば、当日の試験内容をバッチリ把握できる。
 あるいは双葉の「ドッペルゲンガー」とか、のどかの「姿の入れ替わり」があれば替え玉受験でどうにか…全部不正なんですけどね。

 ところが、花楓の思春期症候群は、先に述べた通り「精神的苦痛が傷や痣として身体に現れる」というもの。花楓らしいとはいえ、これでは受験の足を引っ張ることぐらいしか機能しないだろう。
 鉛筆転がしに任せるのとは訳が違う、小細工の利かないもの。ただでさえ置かれている状況が厳しい花楓にとっては、ミラクルパワーなんて当てにはならない。それを分かっているからこそ、皆が受験に対して真摯に向き合っている。

 「またか」と呆れるぐらい、思春期症候群への素早い順応を見せてきた咲太も、思春期症候群に頼れないからこそ、咲太本人が頼れる存在として花楓をサポートしていく。峰ヶ原高校への受験を応援する一方で、将来を案じて通信制高校の説明会に(花楓には内密で)参加する咲太は、何というか妹想いの兄を通り越して、もの凄い人格者だ。
 人一倍なんてものじゃない苦労を重ねてきたとはいえ、妹のためにここまでやる兄がどれほどいるというのか…。まぁ持ち前の気色悪さで、人格者という評価の幾分かが帳消しにはなってるんだけどな!

 ただし、ミラクルパワーが皆無というわけでもない。それなりの理屈付けこそされているが、それまでかなり地に足を付けた話が進んでいただけに、大分強引な形でお出ししてきたのには思わず笑ってしまった。
 やっぱ神奈川県民じゃなくて良かった(風評被害)。


真面目すぎるのって面接だとマイナスらしいよ

 そんな本作を「退屈だった」と評する人の気持ちが、理解できないということはないと思う。鴨志田センセも仰っていた通り、映像化に向いているかどうかと聞かれたら、「向かないんじゃないか」とはなる。
 「受験」をテーマに、誰が見ても真面目で、おちゃらけていない展開が続く。思春期症候群が直接関与してこないから、ドカーンとインパクトのある山場が生まれないし、インパクトのある転び方もしない。実直ゆえに地味。地味ゆえに退屈。無理のないことだ。

 そしてもう一つ、『おでかけシスター』では通信制高校のモデルとして、角川グループ(電撃文庫だし)が運営するN高等学校を取材しており、その成果は如何なく作中に反映されている。ただ本作では、成果が行き渡りすぎて裏目に出たとも捉えられる。
 「N高等学校のプロモーションビデオみたいだ」という感想を目にしたが、実際劇中で通信制高校のプロモーションビデオが流れる(しかも結構リアルな構成なのがまた…)ので間違ってはいない。

 通信制高校に対するイメージを、咲太たち『青ブタ』のキャラクターに"言わせている感"もあって「全日制なんかやめて、オレと一緒に通信制やろうぜ!」って誘われているかのよう。誰もが心の中で思うことだろう、

 「あ、これ進研ゼミ(のDM広告マンガ)でやったところだ!

と。何を観に来たんだっけという違和感が、『おでかけシスター』の退屈さを助長させているのかもしれない。

 だが、「じゃあ『おでかけシスター』は合わなかった?」と訊かれたら、いやいやそうではないよと答えるだろう。これまで以上に真面目であるがために、地味さは拭えない。その一方で、地に足を付けた真面目さが見て取れる本作だからこそ、こちらの心を揺さぶってくるポイントにも繋がってくるのだ。


「頑張れる」理由と「頑張らなくっちゃいけない」理由

 「私は、一人じゃないもん」

 TVシリーズの『おるすばん妹』の終盤にて、花楓が咲太に打ち明けた言葉である。誰のことを以て「一人じゃない」とするかだが、決してただ一人の、しかも目に見える存在のことを指しているのではないだろう。

 受験にあたり、花楓には学力面での懸念がある。不足を埋めるには花楓自身の頑張りが何よりも必要だが、既に高校受験を通過している咲太をはじめ、芸能活動に勤しみながらも優秀な成績を誇る麻衣、実はお嬢様学校通いの高学歴アイドルであるのどかも受験勉強をサポートしてくれる。
 「一人じゃない」からこそ、「頑張れる」理由がある。

 だが花楓からすれば、麻衣ものどかも、その他大勢のヒロインも、少し前に目覚めたら急に現れた新キャラのようなものだ。出逢いも、思い出も、すべては「かえで」の日記帳の中に記されているのみ。
 その日記帳の中には、「かえで」としての最後の総仕上げである「かえでクエスト」も含まれている。一旦のトゥルーエンディングを迎えたそれに対して、花楓は「心強くてニューゲーム」を選択することにした。それしか選択肢が無かったわけじゃないにもかかわらず、だ。

 「一人じゃない」からこそ、「頑張らなくっちゃいけない」理由がある。
 花楓が峰ヶ原高校に行くことを拘る理由というのは予告編を観ても概ね察しが付くと思うが、アニメとして動きと声が加わることで、やけに胸の内がきゅっとさせられる。
 本作はEDを抜かすと69分と、『ゆめみる少女』よりも上映時間が短くはなっているが、原作2冊分の内容を89分の映画1本にまとめた『ゆめみる少女』と比較すれば、(カットされた部分はあれども)説明の足りなさを感じることなく物語が進んでいく。

 「かえで」からの積み重ねもあるが、しっかりと足を付けているからこそ、「頑張れる」と「頑張らなくっちゃいけない」の板挟みになっている花楓への理解も深まる。ひたむきな姿を見てきたから、物語中盤での

 これまでになく感情を爆発させる花楓(久保ユリカ)と、

 それを受けてやっぱり曇らされる咲太(石川界人)!

 あそこ良かったよね。あんな咲太の表情拝めるの、多分本作ぐらいしかないと思う。あのシーンだけでも大分映像化の価値がある。
 咲太を丁寧に曇らせること。『おでかけシスター』を制作する意義がここにある。


人と違う生き方じゃなくたって、それなりにしんどいぞ。

 『おでかけシスター』を観ながら思ったこと。それは、
 「みんなと一緒」であってもそうでなくても、
 「頑張れる」というのは一つの才能なんだってこと

 「結構推してくるやん」と思った通信制高校の話も、真面目な本作ではそれだけでは終わらなくて、

 「私だったらやっぱり普通の高校を選ぶと思う

 ということも、ちゃんと言わせている。私もそう思う。

 みんなと一緒であることにしんどさを抱えて、違う生き方を選びたいと思う子がいるように、みんなと一緒じゃないことにしんどさを抱えて、同じ生き方を選びたいと思う子もいる。
 どちらがより立派であるかと、優劣を付けようとするのは野暮な話だ。全日制なりのしんどさがあるように、通信制なりのしんどさもまたあるんだろうなぁと、通信制高校なるものとは全く縁がなくとも思うことである。

 それでも自分だったら、普通を選ぼうとするし、薦めようとするんだろうなと。そっちの方がより「近道しやすい」からだ。
 人の成功体験、失敗体験ほど妄信してはいけないものもないけれど、選んだ生き方の中で問題に直面した時に、他の「誰」かだったらどうしていただろうか、と「誰」かに問うことができる。問題が解決するかは別の話だけれど、誰かがそこにいるというだけで心が軽くなれることもある。
 だが、みんなと一緒じゃない生き方だと救いの手が現れることも、探すことも難しくなる。その人が躓いても、人生の先駆者にはなれないから「どうしたものか」と、周りは手を拱くことしかできないかもしれない。

 「何が起きても、誰のせいにもできないからね
 生きていくだけでも大変なことばかりだから、自分の子供には少しでも近道をさせてあげたい…というのが親心なのだとしたら、みんなと一緒から外れることには、いやが上にも心配にもなろう。

 作中では、のどかが属するアイドルグループ「スイートバレット」のリーダー、づっきーこと広川卯月(ひろかわ うづき)が「みんなと一緒」じゃない人間の象徴として登場する。
 TVシリーズだと他のメンバー3人は当時の22/7(ナナニジ)がCVを担当しているのに、づっきーは本業声優の雨宮天を使ってるんだと当時は不思議に思っていたのだが、後々「こういうことか」と納得した。進路とアイドルに何の関係が? と思うかもしれないが、結構絡んでくる。
 母親も手を焼く卯月の空気の読めない天然っぷりや、彼女なりの真摯な生き様を眺め、花楓は何を思うのか。今後のことも含めて、特に中盤の展開に注目して観てほしい。


 まぁでもね。偉いんですよ、花楓は。
 花楓も花楓なりに思うところがあって、頑張ってきた。
 頑張ることから逃げなかったし、逃げるために頑張るという手段を選ぼうとはしなかった。そのことが傍から見てもしっかりと分かるように描いているからこそ中盤のあのシーンがより印象的になるし『おでかけシスター』の物語が他のエピソードよりも好きだ、と評する人の気持ちを理解できる
 バカが付くほど真面目にやってきたことが、ここで活きてくる。

 咲太みたいなお兄ちゃんなんて、下手したら親でさえここまでできるわけじゃないから、そこについては無理に共感しようとか、かつて高校受験にウンウン魘されていた頃の視聴者自身を重ねようとはしなくていい。

 ただ、花楓がすげー頑張ってるってのは伝わったでしょう。
 そして、最終的に解決したようで、実はまだちゃんと解決していない問題を花楓が抱えているっていうことにも気付くでしょう。
 「みんなと一緒」でも、「みんなと一緒」じゃなくても、「頑張れる」ことと「頑張らなくっちゃいけない」ことの板挟みはこれからも続いていく。何を頑張れるか。頑張らなくっちゃいけないか。その時々で変わっていくというだけ。近道なんてものは端からないかもしれない。

 それでも花楓は頑張ってきたし、花楓の周りにも心の中にも「みんなが一緒」にいる。だからこの先も頑張って乗り越えていけると信じられる。
 この「まぁきっと大丈夫でしょ」という実感を得て、一つの物語を見届けられるというのが本作においてはとっても重要。
 1時間ちょっとの間に、TVシリーズや『ゆめみる少女』では明かされなかった彼女の人となりを知ることができるのだ。何か知らんうちに美人かつ超著名な彼女ができた咲太への感情もいじらしい。あ、あのシーンは私もそっ閉じします

 花楓を好きになること。『おでかけシスター』を制作する意義がここにある。


総括

君の声を、抱えて歩いていく


 控えめに言ってもファン向けですよね。
 もっと言えば原作も熱心に追っているファン向け

 4年空いたからって、昨年だと『SPY×FAMILY』や『ぼっち・ざ・ろっく!』で絶好調だったCloverWorks制作だからって、映像面のクオリティは『ゆめみる少女』と大差なし。劇場で公開しているので劇場版です、という感じ。 
 目で分かる変化があるとしたら麻衣さん。原作に寄せたのか、ツリ目気味かつ黒目部分が細めになった。ちょっと好みは分かれるか。

 かれこれ前作はもう4年前の作品なんだよなぁ、と懐かしい気分になれる。同時にthe peggiesが活動休止になったり、スイートバレットの他メンバーが本作では本業声優が担当していたり、4年経過したことの影響もしっかりと感じられる作品でもある。
 お決まりの『不可思議のカルテ』は今回は花楓とかえでのデュエット。YouTubeの違法アップロード音源(削除済み)がかつて1億回再生されたぐらいには実は海外でも定評のある曲。ちなみにもう配信されている。

 で、本作は肯定的にレビューしたけれど、やっぱり地味なのは否定できない。こればっかりは、花楓自身が乗り越えていくしかないんで(転嫁)。
 これまで全く内面が描かれていなかった花楓について知って、彼女の頑張りを見届ける。そこが本作のキモです。70分程度なので割とサックリ目に観ることができるのもポイント。別に映画料金が安くなりはせんけど。

 本編ではあんまり書かなかったのだが、古賀と双葉は一応出したには出しました、というレベルでの登場。牧之原翔子(まきのはら しょうこ)は『ランドセルガール』まで持ち越し。
 本作に限ったことじゃないとはいえ、このシリーズはヒロイン同士の矢印(別に恋愛関係に限ったことではない)が多くないのが勿体ないなと思うのね。麻衣さんに対して毎回どかちゃん、自然だけれど定番すぎるのも物足りない。もっと色んな化学反応を見せてほしい。


 で、お前ってそんなに『青ブタ』のファンなんだっけ、と訊かれると。
 もう、そんなラノベを読んでますというような年齢ではないのだけれど、思い入れ…というよりは特殊な経緯があって。

 noteを続けてもう7年目、「よもやま」自体も6年目になるのだけれど、もう4年半前、はじめてコメントを頂いたのが『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』だったんですね。
 今読み返すとどうしようもなく稚拙だし、貰ったコメント自体もコメントに困るような内容ではあるんだけれども、当時としては素直に嬉しかったのを覚えています。

 そういうこともあって、『青ブタ』はやけに印象に残っている作品でして。それでもって続編の『おでかけシスター』と『ランドセルガール』がアニメ化するよ! というお知らせを見て、あぁじゃあ空いた時間に観に行こうかとなったわけです。

 ネットなんて悪意だらけだってことは厭というほど思い知らされてきたのだけれども、何気ない好意(少なくとも悪意ではない)が思いがけない形で転がり込んでくることだってあるんだから、それを感じられるうちは繋がっていようって思える。
 ある意味では花楓も同じ。ネットの悪意を乗り越えた先の未来は、ちょっと感慨深いものがある。

 観終えた後で、「ありがとう」、「頑張ったね」、「大好き」。
 どれか一つでも心に浮かべることができたのであれば、
 『おでかけシスター』は良かったと、次の『ランドセルガール』に期待しつつ残りの半年間を待つことができるんじゃないかと思います。


 ただな。最後にこれだけは言わせてもらいたい。
 忘れてないっかんな。

第12話ラスト。「かえでをかえして」の大合唱

 お前らはちゃんと『おでかけシスター』を観て、
 「ごめんなさい」してこい。

 「ごめんなさい」がちゃんと言える大人になるのも大事だと思いました。

 おしまい。


初週に観に行ったので、限定小冊子をゲット。
こうしてみると花楓って境遇の割には身長あるなって思う。


《了》

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