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「女の子らしくしてほしい」と望む男性の一言に考え込んでしまった話

「女の子には女の子らしくしてほしい願望があるんですよ、僕は」
タクシー代を払いながらその人は言った。財布から1500円を出そうとしている私を制して。
そのAさんとは既婚者で、互いになんの利害もない相手であり、人と人の間柄でしかない。たまたま同じ時間に同じほうに向かう予定があり一緒にタクシーに乗った。少ない額とはいえ、払ってもらう理由がなくて大変恐縮した。

でも、Aさんには理由があったわけだ。
「女の子には女の子らしくしてほしい」「僕は男が払いたいし、車道側を歩きたい」「最近はこういうことって男女差別みたくなって言いづらいですよね。差別をするつもりはないけど、区別はあるというか。性別で違いはあるから」と続けた。

お金を払ってくれるのも、車道側を歩いてくれるのも、優しい。優しいと思う。ありがたい。でも、それだけで片付けてはいけない問題だと思って、ずっと考えている。
「どこからが差別になるのかの線引きは難しいですよね…」と私はそのときぎこちなく当たり障りのないことを答えるしかできなかった。

確かに性別の違いはあるが、それは例えば、めちゃくちゃ重い物を運ぶとか、高いところのものを取るとか、筋肉量や身長などで物理的に難しいことのみにしか言えないのではないか、とも思った。「女の子らしく」というのは、物理的な話ではなく、精神的な話だ。精神的な話は性別と紐付くものではなく、すべて個人の好みの話ではないだろうか。

私はどんな相手とでも、「人」と「人」でありたいと思っている。「女の子らしく」である前に、「人」だからだ。性別での区別がある前に、まず「人」だからだ。同じホモサピエンスなのだ。

しかし、「人」である以上、相手の「こうしたい」を否定するのは私の流儀に反する。そこはどうしても尊重したいのである。

人と人であることと、相手を尊重すること、この二つを両立させようと考えて、さっきから頭の中で詰んでいる。両立できない。

Aさんは、自分はお金を支払うなど男らしく振る舞い、相手には女の子らしくしてほしいと考えている。いわば互いがロールプレイ含みの振る舞いをすることを望んでいるのだ。
これが厄介で、じゃあAさんだけどうぞお一人で男らしいロールプレイをしてください、というわけにはいかない。このロールプレイは受け手がないと成立しない。
Aさんが“僕は”支払いたいんです、“僕は”車道側を歩きたいんです、とわざわざ性別に絡めずに主語を自分にして語ってくれればよかったのではないか、と一瞬思ったけど、Aさんの目線に立って考えると、Aさんは男女ロールプレイをしたいわけだから、受け手が存在することを望んでいるのである。

ところが私は、その「受け手」を強要されることに釈然としない気持ちを抱いているわけだ。ロールプレイなどしたくない。ロールプレイという薄い膜ごしに接されても困る。私は私だ。詰んでる。Aさんのようなタイプと、私のようなタイプが対峙するとき、どうやってもどちらかが何かしらを我慢しなければならない。

「男らしく」振る舞いたい男性もいれば、「女らしく」振る舞いたい女性もいて、本人がそうしたいならそうしていいに決まっている。
ただ、そうしたい人はその代わり、異なる考えを持つ人にロールプレイを強要しかねないことには自覚的であってほしいし、性自認と身体的性が一致しない人の存在も意識してほしい。

結局は、できるのはここまでなのかもしれない。意識する、まで。実際には、感性の合わない相手と接するのは避けられない。ささいな日常会話で毎回いちいち相手の考えを確認するわけにもいかなかろう。それに確認したところで、どちらかが譲るよりほかないわけだし。

難しいな…。
関わる人が多くなればなるほど、いろいろなことが両立できなくて詰む。
やっぱり出来る限り一人でいることが最強のストレス回避法だよなぁ…(結局そこに戻る)

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