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でもそれは、どこまで行っても自分のための行為なのだ。

泣くほど辛いことなんて、人生で何度もない。
そう言って慰めるのは簡単だけど。
そんな言葉で癒される浅い傷ならば、彼女は最初から泣いてなどいないのだ。

相手が喜んでいる時、悲しんでいる時、寂しそうな時。
いつだって言葉に詰まる。
どんな言葉をかければいいのか、どう振る舞えばいいのか、
相手の感情に重量感があればあるほど、答えを見失ってしまう。
そうして黙り込んで、ただ目の前に漂う空気を飲み込む。
唇の先から喉を通り、お腹のあたりまで
細長くて少し冷たい空気が落ちてきて、溶けていく。
ぼんやりと、霧みたいに、じわじわと。
それはきっと1分にも満たない出来事なんだと思う。

私が喜んでいる時、悲しい時、寂しい時。
どんな時も抱きしめてくれる人がいる。
その度に「この人になりたい」と思う。
感情ごと全部抱きしめられる人間になれたら
あのひどく薄っぺらい無力感から抜け出せるんじゃないかと。
淡い期待を抱いてしまう。
でもそれは、どこまで行っても自分のための行為なのだ。

考えれば考えるほど、出口を見失う。
日常にはそんな問いばかりで、気が遠くなるばかりだ。
「まーでもそれが人生だよね」
なんてくさいセリフに笑いながら、
砂糖をかけすぎたパンケーキをほおばるくらいが今の私にはちょうどいい。


あとがき

大学生時代はよくこんな風な文章を書いてブログに載せていた。いつからか、人に見せるのをやめてしまったのは「エモい」とか「ポエム」という言葉が世間に飛び交うようになったからだ。そういう流行り言葉に勝手に傷ついて、書くことを躊躇するようになった。でも書く理由は昔も今も一緒。これは私のための備忘録。他人が覗ける場所に置いてある、私のための文章なのだ。


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