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自我(エゴ)が病気を創造する
ぼくは、蒸留の会というグループに参加しています。
主催者はオニョさんと言います。
オニョさんと親交が始まって真空蒸留の世界を知って以来、大きく自分や家族や身内に変化が起きています。
そのオニョさんもハッキリ仰っています、自我が病気をもたらすと。
それは、ぼくも、おそらくそうだと同意しています。
自分が自分を病気にする
ぼくは小学生、若しくは幼稚園の時からかもしれませんが、扁桃腺炎が持病でありました。
社会に出てからも続き、酷い時は、3カ月に一度、喉が腫れて、39~40度の高熱を出していました。
風邪をひけば、それが切っ掛けとなり、風邪の症状が途中で止まって、引き続いて扁桃腺炎に移行するという、下手すれば、1週間も熱を出し続ける状態になりました。
それにも関わらず、社会に出てからは、仕事を休んだ記憶がありません。熱慣れしていたのもあるのでしょうが、仕事に対する責任感が強く、休むことが考えられなかったのです。
偶然でしょうが、仕事の関係者に、50歳近くになっても扁桃腺炎でよく休む方がいましたので、自分もそうなるかもと、内心嫌な思いでおりました。
しかし、仕事が面白くなると、いい加減、扁桃腺炎とおさらばしたいと、心底思うようになりました。
実は、その後、自力でおさらばをすることが出来ました。医者には行っていません。
病気との決別を覚悟し、実行しただけです。
しばらくは、名残のように喉のリンパ腺が腫れることがありましたが、発熱までは至らなくなり、今ではリンパも腫れません。
子供の頃から自覚していた自作自演
小学生の時はそうでもなかったのですが、自我が確立する中学生の頃には、自分の持病の扁桃腺炎は、自分が作っているんだと自覚するようになっていました。
何故、そう思うようになったのかまでは、その頃は分析まで出来る力が無かったのですが、大人になってからは、容易に理解が出来ました。
学校の授業と、勉強や塾通いが嫌で、その強い想いが、都合の良い理由として病気を欲していたんだと思います。
小学校6年間は、毎年学級委員を申し付かり、成りたくもないものに成らされる罰ゲームをさせられている感があり、その境遇を本当に恨んだものです。
学級委員なんかできるような善人ではなく、その真逆の人間としての自分を自覚しているのですから、委員をしている時は、まるでお白洲にさらされている感じで、お尻がムズムズしていたものです。
殆ど病院には行かない
社会に出てからは、よほどの困りごと以外は病院のお世話になっていません。
現在は、ケガなどの外科は別として、病気で病院に行きたいとは思っていません。
人類誕生以来、現在まで、その殆どの間、人は病院などとは無縁で生きてきています。
選択肢として病院という存在が無いのですから、他にすがりようもなく、自分の命は自分で背負うしかありません。
それは、覚悟すらも無く、当然の事であったと思います。
自分の身体に起こっている事は、自分事ですから、そもそも他人に何か出来るわけがありません。
他人にとっては僕の事は他人事ですから、手に取るように分かるわけじゃなく、治せる訳がありません。
それは、現在もきっとその状況であるはずです。
扁桃腺炎卒業の経験から、その後は酷い不整脈も自分が原因として取り組んで、気にならないところまで来ています。
下戸のぼくが、下戸でなくなった今日この頃
最近、下戸のぼくが下戸でなくなりました。
切っ掛けは、真空蒸留水を飲むようになったことなのですが、以前は350ml缶ビール一杯でも、顔が赤くなり、下手をすれば寝てしまうし、もっと下手をすれば、嘔吐までいってしまいますし、頭痛は当たり前でした。ご丁寧にドクドクと脈打つ始末です。
モンゴロイドは、アルコールに弱い遺伝子があると、医学的には言われていますので、ぼくも当然、そのど真ん中の存在であると思い込んでいました。
それがどうでしょう?昨今では3缶飲んでも、顔色一つ変えず、何なら焼酎も続けて飲めるほどです。
で、ここを掘り下げて考察するわけなのですが、掘り下げなくても、何となく、若い頃から、飲酒に対する嫌悪感があったのを自覚しておりました。
しかしながら、現実に、身体はアルコールに対し見事なまでの反応を起こしてきていました。
ですから、その原因として、自分がそれを創っているとまでは、思いようもありませんでした。
おそらく、世間では、遺伝子的にアルコールは無理と理解して生きておられる方も少なくないと思います。
ぼくもそのど真ん中で、疑いようもなく納得して生きてきていますから、今回の下戸卒業は青天の霹靂になります。
下戸卒業から見えるもの
過去、書いたもの以外にも、自分で病気を治してきた自覚があります。
それ故、オニョさんが仰った、病気はエゴが創るという分析は、現在では、ぼくの中では、当たり前のように受け入れられます。
エゴが起こしているのですが、そこにはエゴが纏って手放さない観念が大きく関わっています。
観念にメスを入れていくと、丸裸にされたエゴは大人しくなります。
このことを言うと、お叱りや怒りを向けられかねませんが、今の世に蔓延る病気の殆どは、ぼくの事では無く、他人事で、病人にとっては自分事です。
化学物質過敏症なども現代病ですし、世の中的には病人の責任とはなっていません。
世の中で同意されている事象は世の中の観念ですから、ぼくが否定したところで、何も変わらないのですが、
それでも、その人の病気はその人が望んで起こしているとの思いが、ぼくにはあります。
そこをさらに進めて考察をしていきますと、ケガや事故すらも、自己が招いているところまで行くんだと思います。
最後に
突然書きたくなって書いたこの記事ですし、深く検証する能力もありません。
読み物として読んでいただけたらと思います。
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