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『サクレ』-てれかす×わすわす は何故優しい味がするのか

こんばんは。靄篠です。

ついこの前まで「もう5月か〜眠いな」とか思っていたはずが、いつの間にか6月も半ばだし、明らかに夏に近い暑さを感じている。年々時間の経過が早くなっていく感覚に焦っている。もうちょいで7月ってマジ?

そんな中、ついこの間も曲が出たばっかりなのに、また新曲が出て、驚きました。タイトルは、『サクレ』。てれかすさんとわすわすさんの2人で作られた曲とのことで、てれかすさんとしては前回に引き続いてのコラボ曲です。人の繋がりが感じられるのも、なんか嬉しい。これがなかったら、私の2021年6月はマジで流れるように終わっていたかもしれない。いつもありがとうございます。


初めて聴いたときの感想としては、いい意味で「わかりやすい」曲が来たな、という感じでした。暑さ、期待、未練、希望。白いワンピース、神社、プール、宿題、アイスといった夏をイメージさせる言葉。爽やかなピアノ、疾走感のあるギター。まだ夏の中に居ない私たちが、これから来る夏を前に聴くにはとても気持ちのいい曲でした。今年の夏は、楽しかったらいいな。変な犬も居たらいいな!

さて、私はてれかすさんの曲の詩が好きなので、今回も歌詞について好きなところを語っていきます(『サクレ』はコラボ曲なので、てれかすさんの詩?と言えるのかはわかりませんが!てれかすさんとわすわすさんの詩、ということで)。

サビの歌詞が優しいと思う

先に結論を書いておくと、今回書きたいのは、サビの歌詞が優しいよねということです。特に、次の部分。

「取り返して
 巻き戻して
 またやり直せたとしても」

この歌詞を何故優しいと思うのか、順番に書いていきます。

歌詞の全体のイメージ

先に全体のイメージから。

『サクレ』の歌詞は、爽やかな曲調のわりには結構未練が見え見えな感じ。楽しかったはずの夏を、思い描いていたはずの夏を経験できなかった「僕」の話。

1番で歌われる「全部忘れてきた宿題」は、「白いワンピース」であり、「神社で待ち合わせ」であり、「プールに忍び込んで」であり。そんな理想的な夏をやり直そうとする「僕」の6月が歌われていきます。まぁ、本当に宿題全部忘れてきたのかもしれないですけどね。それにしても、これを「宿題」と表現できてしまうのがてれかすさんの曲らしいところ。勿体ぶらずにさらっと歌われてしまう詩的で美しい表現がいつも気持ちいい。

2番は今の「僕」が歌われているようなパート。「何かを期待して クソ暑い外に出てみても」、「変な犬がいるだけ」。思い描いていたような、華やかな夏とは程遠い「僕」のリアルな6月です。「僕」は多分暑さにげんなりした顔をしているけれど、抱き抱えられた変な犬は満面の笑みで運ばれていきます。

歌詞の中では少し浮いて見える「人が殺されたりしそうだし」は、物語性と非日常を指した表現だと思っています。でもそれは、アイスがなんだかんだで美味しいのと同じぐらい日常的になった、非日常を想う「僕」のゆる〜い期待感。別に本当に人が死ぬことを期待しているわけじゃないけど、いつか読んだ物語のような夏をどこか期待している。殺人を「たり」と書けてしまうくらい、ぼんやりしてしまった「僕」にとっての非日常のイメージ。実際は、変な犬がいるだけだし。

それでも、今年の夏はあきらめられないらしい。「僕」、意外と希望的ですね。「いま!いま!いま!」と叫ぶ「僕」を思い浮かべると、笑顔で走っていく「僕」がそこに居る気がします。なんか応援したくなっちゃいますよね。「僕」を見かけたら、アイスでも買ってあげようかな。

あと、夏の始まりのことを「溶けだした6月」って書けるの、素敵すぎ!天才か?と思う。

「僕」の最終目的

そんな「僕」の想うことが、サビで歌われています。サビの解釈は結構自由にできそうな書き方をされているので、ここはあえて書かないことにします。人の解釈を読んだり聴いたりするのも、楽しみにしているので。

先程書いた通り、この文章では次の部分に注目して書いていきます。

「取り返して
 巻き戻して
 またやり直せたとしても」

これが優しいよね、というのが結論なわけですが、何が優しいのかというと、『「僕」が欲しかったもの』の解釈が、優しいよねということです。

「僕」は「あの夏」について、「取り返して、巻き戻して、またやり直せたとしても」というふうに思いを馳せています。だから「僕」の感覚としては、「あの夏」は何かに奪われてしまっていて、それを取り返すことから始めようと考えています。まあ実際には、この後の歌詞で本当に「僕」が夏を取り戻しに行くかについて明確には語られていないんですけど、そこは解釈の余地ということで。

「僕」は、「あの夏」を「取り返して」→「巻き戻して」→「やり直す」順番で考えています。だから「僕」が夏を想う時、「僕」にとっての最終的な目的は「やり直す」ことです。「それが本当の僕の夏なんだ!」という、「僕」の期待も垣間見えます。

私は実は最初に曲を聴いてこの歌詞を追った時、「あっ、そうなんだ」と思いました。僕の目的が「やり直す」であることについてです。どういうことかというと、例えば同じ言葉を使って、こんなふうに書いても良かったわけです。

「巻き戻して
 やり直して
 取り返せたとしても」

どうですか?正しい歌詞を既に知っているので違和感があるかもしれませんが、この順番でも、別に間違いではないんですよ。むしろ、「僕」は奪われた「あの夏」を想って行動するわけですから、その最終目的は「取り返す」ことであるほうが、文脈的には妥当な気すらしませんか?だから歌詞を聴いたとき、「あっ、そうなんだ」と思ったんです。

『サクレ』の「僕」は、思い描いた「あの夏」をただ「取り返したい」わけではない。

それなら、この書き方をした理由が絶対にあると思ってしまうわけです。

解釈大好き!

「僕」が本当に欲しかったもの

では「僕」が本当に欲しかったものは、一体何だったのでしょうか。奪われた「あの夏」を取り返すことではなく、あえて「やり直す」ことを求めている「僕」。思い描いた「あの夏」それ自体に、「白いワンピース」や、「神社で待ち合わせ」が含まれているのにも関わらず、です。

「僕」は、「神社で待ち合わせた夏」が欲しいのでもなく、「プールに忍び込んだ夏」が欲しいのでもない。

「僕」が欲しいのは、「神社で待ち合わせる夏」。
「僕」が欲しいのは、「プールに忍び込む夏」。
そして多分、それはきっと「君」と過ごす「夏」。

描かれなかった「君」と

『サクレ』では一度も「君」という言葉が歌われません。多分それは、「僕」が今まで生きてきた夏のどこにも「君」がいなかったから。

「僕」が思い描いた「あの夏」を、奪われてきた「あの夏」を何度も想像しながらこの曲を聴きました。「白いワンピース」「神社で待ち合わせ」「プールに忍び込んで」……そんな夏を想像するとき、どうしたってそこに誰かの影が映ってしまう。「僕」はどうしたって、一人だけでは「あの夏」を取り返すことができないのではないでしょうか。多分、今の「僕」はまだ「君」のことを歌えないけれど、でも「僕」はそのことをちゃんと知っている。

だから「僕」は、「取り返す」のではなく「やり直す」ことを欲しがったのだと思います。「誰かと過ごした夏」の結果だけなら要らない。欲しいのは、「君」と「これから過ごす夏」。それがどんな夏になるのか、いつか思い描いた「あの夏」と呼べるようになるのかなんてわからないけれど、それは「僕」にとって文脈の正しさなんかよりもずっと大事なことだったから、「僕」はあの順番で「あの夏」を歌ったと思います。

そんな「僕」の願いを認めるように、「いいですよ」と誰かの声が聴こえる。もう「君」は一人ではないよと、優しくささやくような声がする。

もしかするとこんな「僕」も、どこかで夏を待つ誰かにとっての「君」なのかもしれない。

そんな初夏の歌。

「君」に言いたいことがあるかもしれない、まだ知らない夏の終わりへ。

『サクレ』という歌

それが2021年の初夏、6月に歌われた曲、『サクレ』-てれかす×わすわす でした。これがコラボ曲として発表されたことが何故嬉しいと書いたのかは、もうここまで読んでくださった皆さんにはわざわざ説明するまでもないことですよね。今年の夏は、めちゃくちゃ暑くなりそう!変な犬も居そう(願望)。

「僕」のこの夏がどんな夏になるのか、まだ誰にもわかりません。それでも「君」と過ごすこの夏が、きっといつか「あの夏」と呼べる日々に変わりますように。口に含んだ「サクレ」のように、甘酸っぱくて、少しほろ苦くて、爽やかな夏に。

だから、『サクレ』は、優しい味がする。

感想文はこれで終わりです。素敵な曲を、ありがとうございました。


2021.06.14 靄篠

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