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なんだか大病を患っていたハナシ

今年の3月だったと思う。某イオンに行ったら献血車が来ていて、軽い気持ちで献血しようとしたらなぜか血圧が180もあった。周りにいた赤十字の方々が騒然とし、しきりに立てるか、大丈夫かとわたしにお声掛けくださった。当のわたしは何ともなく、むしろあまりの高血圧にびっくりしてそそくさと退散した。

それから数ヶ月、7月に入ってなんとなく食欲が落ちて身体がダルくなった。てっきり夏バテだと思い込んでいた。この思い込みが良くなかったのだけど、それからしばらくして7月下旬に全身に黄疸が出てきたのだ。

さすがにヤバいと思い近所のクリニックを受診。血液検査をしてもらったのだが、翌日クリニックの医師から衝撃の言葉をかけられることになる。

「モヤシさん、この数値はとんでもないです。即緊急入院が必要です。総合病院に紹介状を書くので取りに来てもらえますか。」

紹介状を受け取って総合病院へ向かうと、微熱のあったわたしは即PCR検査と抗原検査を受け、そのまま処置室で点滴を受けながら各種検査を受けた。周りの医師や看護師さんがバタバタしている中で妙に冷静な自分が不思議な感じだった。

検査の結果、肝臓に異変がありそうだがこの病院には肝臓専門の医者がおらず、非常勤で週一来るだけだから専門医が常駐している病院がいいだろうと言われ、またもや紹介状を貰うハメになった。この日は土曜日だったので一度自宅に帰り月曜を待った。

月曜の朝イチで紹介状を貰った病院に電話をしたところ「今すぐ来れますか?」と。即行った。検査の結果、急性肝炎との診断を受け、物腰の柔らかい医師が「今日入院できる?もうねぇ、入院しないとダメなところなのよ〜」と。実際身体もキツかったので、一度荷物を取りに自宅に帰り、夕方緊急入院をした。

あとから知ったのだけど、普段はこの病院の肝臓内科は入院待ちが多く、わたしが受診した日にたまたま別の階に移動した患者さんがいたため一床だけベッドが空いたらしいのだ。なんということでしょう。アイムラッキーおばさん。

入院してからの1週間、肝臓由来の発熱が40℃まで出たりしたけれどもなんとか元の元気さを取り戻しつつあった。…かのように見えたのだけど。

今日医師から話があり、どうやらわたしは急性肝炎ではないようだ。国が難病指定している『自己免疫性肝炎』に罹患している可能性が高いとの事だった。びっくり。まさに青天の霹靂。39歳10ヶ月にしてなんだこのザマは。

ただ、正直ガンとか言われるんじゃないかと思っていたのでそこまで狼狽えなかった。薬でコントロールできて余命に大幅な影響がないならそんなの大したことではない。

大きな声では言えないが、わたしは父親が亡くなった時からもう自分はいつ死んでもいいと思って生きてきた。それは決してショックや絶望感から思っていたわけではなく、自分が娘としての役割を終えたから、という意味なんだけど。ただ母親が健在なので実際はまだまだ生きないといけないけどね。

いま思えば血圧がバカみたいに高かったのも食欲がなかったのもダルかったのも全て体からの信号だったのだ。ギリギリだったかも知れないけど今気づけて良かった。

木曜日に採血をして、その結果で難病指定患者の書類を記入してくださいと言われた。40歳目前、わたしに新たな肩書きができた。

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