付加価値の話。
昨日、差別と区別の話を書きながら別のおじさんの話を思い出した。
特に、関連性はないんだけど。こんなこともあったなあてお話です。
そのおじさんとは、岐阜県の旅館で知り合った。
私はというとロシア放浪の前に寒さに慣れておこうなんていう、くだらない理由で岐阜県の奥地へと足を踏み入れた。
そしておじさんのいる旅館でアルバイトをすることになった。
その旅館は一泊2万5千円もするような老舗旅館だった。
おじさんの他にも、色んな人に出会った。
その色んな人達の口癖は、「お客様の為に」だった。
でもそんな言葉の中身は結局自分が働いた1ヵ月間で、理解することはできなかった。
毎日こなす仕事に変化はなく、何を目指しているのか全く分からなかった。
そんなことをおじさんに零した時、
「料理一つにしても、お前らが持って行くのと、俺らが持って行くのでは違う。」
「”女の子が運んできてくれた料理”というだけで価値があがる。」
こんな言葉が返ってきたのだ。
おじさんはお客様から慕われている人だった。
それでも、新たな価値あるものをお客様に提供する為に、私達スタッフを前に出した。
目に見えないものが、おじさんの言葉でスッと明快になった気がした。
私が友人を誘って飲みに行くのも、きっと
「その子と飲むお酒」は自分にとって特別だからだ。
290円で飲む赤玉パンチは、友人と一緒に飲むことによって、290円以上の価値が作り出される。
「お金で買えないもの」
そんなくだらない議論が嫌いだった。
愛だとか、
友情だとか、
そういう目に見えないものを、議論したところで何になるのか。
そう思っていた。
いや、今もそう思っているかもしれないが。
それでも、付加価値について考えると
確かに自分は見えない価値を求めているのかもしれないと思った。
自分にしか見えない、個々の価値。
大切にしていきたい。
写真に残すことも、言語化することもできない、価値という存在。
改めて考えてみると、自分の好きなものや好きな人が、色んな価値を作ってくれていて、
「お金で買えないもの」議論に、今回は参加できるんではないかと、
思った。
p.s
おじさんは怒ると飛騨弁になります。
文字を書くことが生き甲斐です。此処に残す文字が誰かの居場所や希望になればいいなと思っています。心の底から応援してやりたい!と思った時にサポートしてもらえれば光栄です。from moyami.