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文字の話

国語の評価はいつも良かった。

本を読むのも、自分の言葉で感想を書くのも好きだった。

主人公の気持ちに当てはまるものに〇をせよ、という問いに対して正解を選ぶことができていた。


いつからだろうか

文字に、ネガティブを乗せるようになったのは。


ネットにはもともと疎かった。

同級生はブログや、mixiで熱心に言葉を綴った。

自分はケータイ小説の中の文字を追いかけていた。


高校の入学式で、ブログで事前に確保した「オトモダチ」とやらと挨拶を交わす者をみて、馬鹿ばっかりかと呆れた。


自分の中の文字は、いつも美しかった。

自分の目に映し出されるものは、いつも純度が高かった。


だから作文で書く文字も、美しく書きたいと精一杯取り繕った。



それなのにいつからだろうか、「言葉の暴力」なんてワードがこの世にでてきたのは。


Twitterを開けば、色んな文字が転がっていた。

「あの子また愚痴を書いているなあ」

なんて思った頃には、もう、自分も簡単にネガティブ感情を送信していたのかもしれない。


自分の放つ文字に共感が寄せられると気持ち良かった。

自分は間違っていないと思うことができた。



だんだんと


書きたいことを書くのではなく、



求められていることに合わせて書くようにシフトしていった。






言葉にできないことを文字で表現し、逃げた。









文字とは、自分を偽るものではない。






嘘偽りのない文字を書き続けたい

そう思った。




書きたいことを書く。



今日の文字の発想は、最近読んだこの本から。
























p.s

最近、太宰治に会いたい欲がやばみです


文字を書くことが生き甲斐です。此処に残す文字が誰かの居場所や希望になればいいなと思っています。心の底から応援してやりたい!と思った時にサポートしてもらえれば光栄です。from moyami.