やっとわかった悪夢の扱い方
よく嫌な夢を見る。
朝起きたときにぐったり疲れていることもよくある。
その内容は仕事をしていたり、学校の教室にいたり、部活中だったり、その多くは人間関係で感じてきた嫌な気分の再現だ。
そして今までずっと「あ〜今日も嫌な夢見た」と言って、家族に内容を聞いてもらい、どんなに嫌な夢を見たかを分かってもらおうとするばかりだった。
それが今朝、閃きがあった。
見た嫌な夢は嫌だったなーと嫌な気分に飲み込まれたまま文句を言うためにあったのではなく、嫌な気分だったんだと自覚して、「嫌だったね」、「それは嫌な気持ちになるよね」と、感じたことに自分が寄り添ってあげるため、つまりは何を感じていたのかをずっと訴えながら認めて欲しがっていたのかもしれない、という閃きだ。
ずっとなんで夢にまで見続けていつまでも忘れたくても忘れられなくて、嫌な思いをし続けるのかわからなかった。
そのことで自分はこんなにも嫌な思いをしたんだということをとにかく外側に分かってもらおうとしてきた。
つまりは同情してもらおうとしてきた。
それでは駄目だったんだ。
そんなことをされたら嫌だと感じること。
それは当たり前のことと認めてあげること。
悪いことが起きても自分のせいと責めて、ますます苦しめるために見たわけじゃなかったと教えてくれた新たな体感覚だった。
これからはもしまた辛い場面を夢で追体験してしまったら、その時感じたことを尊重しながら「辛かったね」「悲しかったね」「そんなことをされたら嫌だよね」と声をかけてあげようと決めた。
きっとこの何十年もの間、悪夢はそれをしてほしいとひたすら伝え続けていたんだろう。