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さよならの温もり

雑誌に掲載されていた1ページのエッセイ。それが目に留まり、心を打たれた。

それは、2012年の旅行雑誌だった。旅情をそそる写真に癒されたい気分でページをめくると、早々にエッセイの掲載があった。筆者は作家の万城目学さんだった。万城目学さんは私が好きな作家さんの一人。こんなところで万城目学さんのエッセイに出会えるなんてラッキーだ、そんな気持ちで読み始めた。

筆者はエーゲ海を旅していた。そして、ある島を離れる船に乗り、船が出航した様子を書き表していた。エーゲ海特有の青い海を舞台に、岸壁で見送る人たちと甲板で別れを告げる人たちがいる。

おじいちゃんから孫娘まで、一家総出で見送りにきている人たち。送られる人は、甲板で必死に大きな声を出し、手を振り、離れていく船上から別れを惜しむ。

そして、その男の後ろにも、声をあげずに岸壁に向かって立つ若者がいる。彼は手話を使って岸壁にいる女性と会話をしている。

さすがに大声で叫んでも声が届かない距離になると、男性は大きく手を振り、荷物を抱えて船室に入って行く。だがしかし、若者はまだ手話を続けている。岸壁にいる若い女性に向かって、次から次へと伝えたいことが溢れ出し、小さく、見えなくなるまでずっと手を動かし続ける。

筆者はエーゲ海の美しさよりもさらに、この光景に心を奪われたと記している。音のある「さよなら」よりも、音のない「さよなら」のほうが長くコミュニケーションが続いたこの一場面に。

万城目学さんといえば、『鴨川ホルモー』や『鹿男あをによし』など、独特なファンタジー要素のある世界の小説を書かれる方。今回この雑誌の1ページという短い文章の中に、「さよなら」を題材にした温かいストーリーが展開されていることに、改めて作家さんの凄さを感じた。 

そして、このエッセイを読んでいて、私の頭の中にもある光景が浮かび、寂しくも嬉しい温もりを思い出していた。

海外暮らしに希望と憧れを抱き、家族のもとから飛行機に乗り飛び立ってから、もう20年以上の年月が流れている。タイミングが合わず、数年帰れないこともあるが、1年に1回は一時帰国をして家族に会っている。これまでいったい何度一時帰国をしたのかわからない。けれど、どれだけ回数を重ねても、どうしても苦手なことがある。

実家で家族と共に過ごした短い休暇の後、ヨーロッパに戻る日がやってくる。空港へはリムジンバスを使って行く。そして、そのリムジンバス乗り場までは、毎回父と母が送ってくれる。バスを待つ間、ベンチに座って他愛も無い会話をする。いよいよバスがターミナルに入ってくる。大きなスーツケースを係の人に預け、バスに乗り込む時がやってくる。

「お世話になりました、楽しかったね、ありがとう。元気でね」

笑顔で最後の挨拶を交わす。が、必死に堪えているのだ。涙が流れ出ないように。

バスの座席に着くと、窓越しに両親がこちらを見ている。笑顔で手を振る。しかし、もう堪えられなくなっている。カバンからハンカチを取り出し、涙を拭う。

このまま家族の元を離れたくない、ずっと一緒にいたい、そういう気持ちがあるわけではない。また自分が暮らすヨーロッパに戻って、日常生活を送ることになんの疑問も抱いていない。離れて暮らしているときに、家族のことを思い出して悲しく涙を流すこともない。それなのに、どうしてもこの別れの瞬間になると、涙が止まらなくなる。

うちの家族は、全員気持ちを真っ直ぐに言葉にして伝えることが苦手だ。英語では”アイラブユー”と両親や子供に伝えることもよくあるようだが、日本語で面と向かって両親に「愛してる」と伝えることはなかなかできない。けれど、またしばらく会えなくなる両親との別れを前に、抑えられない涙。何より自分が家族を愛していることを教えてくれる。

バスが出発すると、窓の外で手を振ってくれている両親に、私も両親が見えなくなるまで必死で黙って手を振り返す。リムジンバスの中は、これから始まる海外旅行に心を躍らせている人たちがたくさんいるというのに、めそめそしている自分が恥ずかしくなり、それから目を瞑って寝ているふりをする。そのうちに気持ちも落ち着き、空港に到着すると慌ただしく荷物を預け、最後の買い物をする。先ほどの涙はもう戻ってこない。


夏の終わりの誕生日に、姪からお祝いのLINEをもらった。大学3年生の姪は、学業、部活、バイトに就活と日々忙しく過ごしている。そんな中でも、叔母の私の誕生日にはちゃんと連絡をくれることがとても嬉しい。そして、姪から届くメッセージには、子供の頃から今でも変わらず書いてくれる言葉がある。

「大好きだよ!」

家族にストレートに感情表現をしている親族が、ここにいた。

涙ではなく、笑顔で素直に表現できる姪を見習うべきなのか。


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